AI生成の画像が日進月歩であるという話はいくつかの記事で紹介してきたが、その後発表されたChat-GPTのインパクトなどで、もはやそれすら過去の記憶になりつつあるという感じだ。
このようにして情報の洪水がさらに勢いを増す中、人間の処理能力は上がることがないため、深く吟味することなく「それらしい代替物で満足する」という摂取の仕方がますます日常化していくことだろう(「動画の早送り視聴」や「ファスト教養」のような「情報のフォアグラ」化が進む)。
前の記事で「ただよび」という教育動画の会社が倒産した件を書いたが、人間が絡むとこういうゴタゴタを免れ得ないので、説明はAIに任せてしまい、人間がやることはエラーチェックとモチベーターになるという未来は容易に想像できるところである(真反対の寺子屋的教育方法は逆に残るかもしれないが)。
とはいえ、AIの生成画像について、絵柄のトレースと収益化が問題化され対応の遅れたPixv FANBOXでもAI生成画像の収益化が廃止になったように、既存の担い手とのコンフリクトは当然起こるし、そことの調整はもちろん必要になってくるだろう。その点でいえば、産業構造改革が大きく遅れている日本が、この変化にどう対応していくのかも注目すべき点の一つだ。まあ今見える未来は、大した理念もなく既得権益が守られるか、あるいは生産者のデフレマインドを軸にダンピングが進められ、さらに(例えばアニメーターなど)労働者の生活が苦しくなるかという感じである。
まあ便利さは増すけど、明るい未来を描くことには繋がらなそうですなあと述べつつ、この稿を終えたい。
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