琵琶湖沿岸を北上して日本海沿岸まで出たところで、早朝から動き始めた疲労が一気に出てきて身体がシャットダウンしそうになる。
時間的には厳しいが、目的地が海の底になったら意味がない😀・・・ちゅうわけで仮眠を取る。
少し眠気が取れた頭で海岸沿いを走りつつさっき比叡山から白髭神社までの道すがらぼんやり妄想したことの続きに考えをめぐらせる。
自分にとって「日本人の大半が自分を無宗教と認識している理由」は何であろうが構わない。重要なのは、それが開かれた議論で説得性のある論理構成になっているのかどうかである、と述べた(これは後に「『政教分離』から考える、我々の社会の成り立ち」という記事でも似たような話を書いている)。
それと対照的な例を挙げると、柳田国男の神道・仏教に対するスタンスを挙げることができるように思う。彼は民俗学を打ち立てた人物として有名だが、実際のところ彼が目指したのは「新国学」というものであった。国学はよく知られているように本居宣長の提唱したもので、そこでは日本由来のものに対して、仏教や儒教といった外来のものは「漢意」とされ、それを通じて神道を理解することなどが批判されたのである。そのことを想起すれば、「新国学」が何を目指したのか概ね理解できるところだろうが、要するに柳田は日本固有のものを強いこだわりをもって追い求めた人物であった。
そのため、例えば敗戦頃に著された『先祖の話』において、いわゆる「お盆」という名称の由来について、彼は「ホカイ」なる行事(が変化したもの)に求めた。しかしこれは盂蘭盆会すなわち仏教由来のものと考えるのが一般的であり、柳田の解釈はかなり無理かあると言える。
ではなぜそのような解釈が必要だったかと言えば、「盆」という先祖を祭るイベントが日本に古来から存在し、その言語的由来も日本の言葉に基づくもので外来の仏教(漢意)に入り込む余地はない、という理論体系を構築したかったからだろう。そしてそのようなエートスが連綿と続いているから、国家神道やそこにおける「イエ」制度は明治期になって作り出されたものではなく、日本古来の伝統に則ったものだという世界観を持っていたからではないか?敗戦という形で自らの拠って立つ基盤が崩壊の間際にあったことも、彼の偏向を助長した要因かもしれない。
このような見方が正しいとすれば、(少なくとも盆について)己の世界観に基づいて無理な解釈を行う彼の態度は、研究者というよりはむしろ「イデオローグ」や「宗教家」のそれに近いと言っていい。もちろん、「全く偏りのない客観的な視点」などというものが存在しないのは大前提として、それを「だから何でも言ってよい」と開き直るか、はたまた「だからこそ都合の悪い情報・事実にも目を向けよう」と戒めにするかは大きな違いである(これは後に『戦国武将、虚像と実像』の書評を書いた際にも触れている)。
自国のことゆえに評価が難しいのであれば、某国に関して、あれやこれやを己のものとして強引な主張する態度を揶揄する動画を思い出してみるのもよい。私はそういった主張をどの程度の人間たちが真剣に言っているのかを調べたわけではないが、少なくとも「無理筋な主張が傍目にどう映るか」という学びは私たちによく伝えてくれるだろう。つまり、牽強付会な主張は己の説得性・正当性を担保するどころか、むしろ嘲笑の対象になり他の主張すら怪しく見えるようにしてしまう、ということだ(念のため言っておくが、こういった話は仏教側にも同じことが当てはまる。これは佐野厄除け大社に行った時の話などで書いているが、要するに特定の人種や性別、年齢に限定されない普遍的問題ということである)。
たとえばこないだ触れたオランダについて言えば・・・
などと考えてるうちに、目的地へとーちゃーく。
門前町を少し歩くと・・・
永平寺に着きましたよと。
中尊寺や伊勢神宮とかでも感じただけど、やはり聖域を形作る自然にこそ感銘を受けるな。
さあて、そいじゃここから中を見学していこうかね・・・
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