非婚化はなぜ進むのか:合成の誤謬とその背景

2024-12-21 12:11:59 | 生活

 

 

 

 

基本的に人は危険だとか、苦しいと思われるものにわざわざ向かってはいかないものだ。いるとしても、それは少数派であって、社会のマジョリティには決してなりえない(これは生活・集落の維持という人類学・生存競争の面から考えても必然的なことと言える)。

 

その意味で言えば、リスクヘッジを念頭に行動設計を組み立て、そこに「生活力のあるパートナーを捕まえる」という項目を入れるのは、不思議なことではないだろう・・・というのがこの動画を見て改めて思ったことだ。

 

ネットニュースや動画においては、「年収800万の普通の男性」を求める女性をバカにするようなものが多い。なぜそれが成立するかと言えば、データを知ろうともせずに「普通」と誤解する不勉強さであり、さらに言えばそれで妥協している謙虚な自分と勘違いする精神的な幼稚さが透けて見えるからである。

 

就活になぞらえて言うなら、業界分析もロクにせず、将来のライフコースの設計も甘々なのに、給与や福利厚生などの条件ばかりを会社に要求するようなものである(例えば1年目から年収1000万ほちぃ…てちゃんと調べてもの言ってますかね?て話)。さらに言えば、こういう手合いは自己分析も甘く、ゆえに自己PRも磨かず、条件設定をクリアしやすいようなスキル取得などの行動もしないもので、そうなればどういう未来が待っているかは火を見るよりも明らかだ(ついでに言えば、「そういう好条件の人はもう売れてます」というもの指摘する際の定型文みたいになっているが、これは就活時期の実態やインターンの仕組みを知らずに、大学四年からのうのうと就活を始めるのと同じである)。

 

…という具合に無知と錯覚を批判するのは容易いわけだが、問題はブラック企業を回避したい(収入や福利厚生はそのまま家事や育児などに置き換え可能)という希求を否定するのは難しいのと同じように、より好条件の相手を求めるマインドそのものを否定するのは極めて困難であり(社会のモナドが進み、自己責任が横行する社会だから猶更ね)、ゆえに現時点で上昇婚を目指す方がリスクヘッジ上は「正解」に見え、逆にそうでなければ、どこを納得のラインとして設定するのか難しい(理由の一端は後述)。「800万を普通とかwww」といった揶揄は、あくまで個人または少数のクラスターに対しては有効だけれども、今述べたような肝心な部分には決して触れようとしないがゆえに、私はそのような姿勢に対して冷めた眼差しを向けているのである。

 

とはいえ、である。そういう合理的・戦略的行動の広がりと、今回の動画で述べられている「社会(関係)資本がある人間・ない人間」の話を組み合わせると、現在の非婚化の解像度が上がるので、少しそれを述べてみたい。

 

「結婚はぜいたく品」と言われるようになって久しいが、この表現はいささか誤解を招くものであるように思われる。というのもの、「ぜいたく品」という表現は、いかにも経済的なものしか指さないような印象を与えるからだ。実際には、結婚をできる(正確には結婚しやすい)層を大まかに書くと以下のようになる。

1.社会関係資本がしっかりしている人(動画からはいわゆる「アッパーミドル」が連想されるが、必ずしもそこに限定されない)

2.超がつくほど計画的な人(ただし精神的安定と実行力が欠ける場合はこの限りではない)

3.それらを全く気にしないほど無計画か、またはどっしり構えができている人間

今述べた3つの要件は、若干の反論はあったとしても、概ね合意されるところではないだろうか。では何が問題なのかというと、「1~3のカテゴリーに当てはまる人間の割合は元々大多くはなかったが、その数がさらに減少している」ということに他ならない。

 

例えば1なら、現代社会における中間層の崩壊(格差拡大)=経済的に余裕のあるマジョリティの減少がまず挙げられるが、さらには共働きが多い現在であれば、特に出産・育児において実家ないし義実家と良好な関係性・協力体制を築けているか否かが大きなポイントで、これがフィルタリングの要素となる(善し悪しはともかく、昭和と異なり親世代との同居は様々な事情から減っている)。

 

2であれば、日本経済の衰退・停滞があり、そもそも結婚で理想とする条件を満たす相手が減っている上、それにもかかわらず(むしろそれだからこそ)、リスクヘッジの観点から所得の面で相手により厳しい条件を求めがちになるため、そもそも少ないパイの取り合いになる。そして、社会が厳しい状況ということは認識されており、日本はそもそも不安が強くてリスクヘッジマインドが強くなりやすい国ともされるので、3のようなタイプの人間はそもそも育ちいにくい(この点は、複雑な要素が様々に絡み合っていると思われる。例えば、見合いという伝統もあってそもそも結婚における「生活」という要素のプライオリティが高く、それが今も残存しており、感情的な側面と経済的安定を天秤にかけた場合、後者に傾きがちということ。あるいは、「空気を読む」という言葉にあるように周囲をキョロキョロ見渡して自己の行動を決めるようなマインドセットを埋め込まれやすく、それゆえに自己肯定感は低く抑えられがちなので、「どっしりとした構えがある人間」は育ちにくいといった事情などが挙げられる)。

 

というわけで、今は経済状況の衰退で1~3の層が絶賛減少中なわけだが、不幸なことがあるとすれば、今まで1~3のカテゴリーに属さなくても結婚可能だった「お見合い」という近代以降に普及した仕組みがバブル前後=昭和~平成の移行期あたりでどんどん減少していた点であろう。言い換えれば、結婚しやすい層の減少と受け皿の消失(正確には激減)が同時並行で進んだがゆえに、1~3の枠に入らない=マジョリティを構成する「凡庸」な層を包摂する機能が無くなった結果、必然的に非婚化≒少子化が進んだというわけだ(ちなみに結婚した女性の出産数は大きく変動はしていないため、少子化はほぼ小母化のことである。さらに言えば、日本は婚外子の割合が10%を切っているため、結婚しない人の増加は即ち少子化と言って差し支えない)。

 

以上様々述べてきたが、こういった結婚をするためのハードル(計画性や相手探し)がどんどん上がっている状況を端的に表すと、「結婚はぜいたく品」という表現になる、というのが正確なところだろう。そしてこの問題が極めて難しいのは、リスクヘッジが一種避けがたい合理的・戦略的行動であると述べたように、一種の「合成の誤謬」であることだ。人に対して賢くなることを要求してもそれが成し遂げられるのが難しいことは、闇バイトの撲滅運動とそれがどんどん加速化している現状を見れば思い半ばに過ぎるが(まあ一定数のアホは必ずいるというのがこの場合は正しいが)、まして他者に対して愚かになれと要求しても、どこぞの怪しい宗教の洗脳でもない限りは、まあ無理筋な話であろう。

 

ちなみにこう言うと解決策ゼロのように思われるかもしれないが、一応対策はある。それが例えば学校での経済教育だろう。一体何のことを言っているのかと思われるかもしれないが、例えば貧困層が結婚をしないことについて、「貧乏な人は結婚してシェアリングした方がむしろ経済的には楽になるのに…」といった意見も見られる。ただ、その疑問におそらく欠落しているのは、その「貧乏な人」たちはどれだけフィナンシャルプランを考えているだろうか?という発想だろう。というのも、基本的に将来像や所得を考えて行動しているのなら、大病や経済的事情などがない限りは、「貧乏な人」になる蓋然性は低いはずだ(と言いたいところだが、ヤングケアラー問題や奨学金返済、ポスドクと就職難など、様々な事情で困窮するケースがある点は注意を喚起しておきたい)。だとすれば、仮に結婚相手としてそもそもレンジに入れてもらえない「貧乏な人たち」が、相互扶助的に結婚という選択を採るマインドになってもらうには、日本で欠けているとしばしば言われる金銭面の教育を学校でやることが必要不可欠だろう。

 

「金銭面の教育」と言うと金融などの話かと思うかもしれないが、そうではなく日本の税制度やライフコースを伝える時間を学校で設ける、ということだ。もちろん、今から学校教師がそんなことをプラスで学習する時間などあるはずもないので、アウトソーシングするのは大前提であるが(はてさて、こういう生きるための知識と今の古典教育、果たしてどっちが社会的価値が高いのかしらね?)。

 

もちろん、これを導入するには相当色々な困難が伴うことが想像される。しかし、このくらいのレベルのことをやらないと、先述したような「貧しい自分たちこそ相互扶助を意識して行動するべきだ」というマインドを醸成するのはほとんど不可能なのではないだろうかと思われる(なお、国や社会が本当に貧困対策を重視するなら、こういった取り組みは結婚に関係なく不可欠だと思われる)。

 

ついでに言っておくと、こういう迂遠な取り組みを考えるのに嫌気が差し、もう「産めよ増やせよ」でいいじゃないか!と短絡的に考える人間も出てくると思われるが、そういう向きは共産主義時代のルーマニアにおける「中絶禁止」・「5人出産強制」の政策と、それが社会にどのような傷痕を残したかを調べてみるとよいだろう。かかる発想をして疑いもしない人々は、単に「少子化という現象が自身にもたらす不安」を短絡的に解消したいだけで、それが社会的にどのような影響を及ぼすのかを慎重に吟味しようともしない点で、無能どころか有害であると言っておきたい。

 

他にも、今述べた現象が日本に限らず東アジア圏(儒教文化圏)に広く見られるものであること、就活と違う婚活の難しさ(自己評価の物差し)、この結婚に対するハードルの上昇と代替物(2.5次元など)の普及がもたすもの、などなど様々なテーマに繫がるが、今回はここまでとしたい。

 

なお、リスクヘッジマインドと上昇婚志向、あるいはそういった仕組みの残存として、以下の動画を戯画的に取り上げておきたい。

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 隠岐の水若酢神社を訪れる | トップ | 隠岐郷土館に見る隠岐騒動の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生活」カテゴリの最新記事