「台風」という名の強風が東京を通り過ぎる中、俺はまったりと「武士の一分」を鑑賞。で、そんな中、なぜエロゲーのレビューを書くのかと言えば、ちょいと後で使うことになるからであり、またそういう機会でなければ一度削除したやつをアップし直すこともなかなかないからでごんす。最初に「まだ渋谷で仕事中」とあるのは、おそらく日曜日にこの記事をアップしたからだろう。ま、後の話は原文に譲りますわ。
<原文>
はいどうも~、のびろべえです。俺は今頃まだ渋谷で仕事中でしょうが、みなさまいかがお過ごしでしょうか(泣)
さて今回は久しぶりのゲームレビューでありんす。2月12日の「フォーミュラ戦記」のやつが最終なんで実に三カ月ぶりですかね。およそ二カ月休みが取れず、余裕もなかった状況が如実に反映されていますな。え、んなこたどーでもいい?まあまあ学生さん、落ち着きなって。すぐ本題に入るからよ。ちなみにこのゲーム、「殻ノ少女」のレビューを書いた時、「次回作はすでに『クロウカシス』なるものを用意しているそうだが、こちらも期待したいところである」という形で言及していおり、このレビューはそのオトシマエをつけることを目的としております。なお、ネタばれはありませんよと(画像の著作権はInnocent Greyに属します)。
絵はキレイで演技は安定している。キャラもなかなか魅力的…
と書けば中身も非常によいゲームかと期待の膨らむところだが、残念ながらそれは見事に裏切られる。その原因は大きく言って二つ。一つは道具立てを生かし切れていないこと。もう一つはストーリーがスカスカな印象を与えてしまうことである。以下その二つについて説明していこう。
まず一つ目。
このゲームには雪、花(言葉)、洋館、民俗学、音楽、オカルト、精神病理(パラノイア、PTSD)といった要素が詰め込まれているが、それぞれが有機的な繋がりを持たないばかりか単独の要素としても上手くストーリーに絡んでいるとは言い難く、単なるガジェットの域を出ていない。例えば因習の残る村であるとかラブクラフトなどがこれ見よがしに出てくるが、せいぜい雰囲気作りの効果しかない。音楽に関しても、まあ一応推理のヒントになってはいるが、ストーリーとの絡みで見た場合はあまりにも弱い。しかも本編中のBGMもそれほど大したものではない。なるほど花(スノードロップ)に関しは、わざわざ序盤でその意味の二重性と花を手にして自殺した男の姿を描くことでミスリードを誘発するといった効果はおそらく狙っていると思われる。しかし、あくまで物語との絡みで言えば最後にちょっと言及があるだけで、ほとんど印象に残ることがない。またクローズドサークルという要素(舞台設定)も生かしてきれているとは言いがたいが、これは次の原因と密接に関係するので後述する。
では二つ目。
はっきり言ってこのゲームのストーリーはそれほど目新しい印象はない。しかしそれでも、あるいはそれだからこそプレイヤーを巻き込む(ゲーム世界に没入させる)演出に重点を置くべきである。ではなぜ、クロウカシスはストーリーがスカスカな「印象を与えてしまう」のだろうか?答えは「キャラが立っていない事」にあると考えられる。
え、さっきお前「キャラもなかなか魅力的」っていうたやんけ…
と思われるむきもあるだろうが、それはあくまで設定やビジュアル、雰囲気のレベルに止まる。なるほど抜きゲーであるならば、キャラの味付けはこのくらいでむしろ丁度よく、あとはシチュエーションや回数を増やして欲望を満足させることに重点を置くべきだろう。しかしこのゲームにおいては、犯行に複雑な愛憎が絡んでおり、今述べたようなレベルの描写では全く足りていない。ではなぜ、紅緒を始めとして魅力的になりうるキャラが揃えられているにもかかわらず、豊かな(あるいは複雑な)中身が描けていないという印象を与えてしまうのだろうか?その原因は行動のほとんどを選択式にしてしまったことにある。
例えば分岐型の推理ゲームでは、各シナリオ(分岐)ごとで登場人物や事件の違った側面が見えてくることにより、各キャラの不可解な行動の背景や隠ぺいされていたものが見えてくるという仕組みになっている(推理とは限らないが、ループはその変奏)。その中でキャラの行動原理に必然性が与えられたり思わぬ一面が垣間見えることで、その人物造形は深みあるものとなり、思い入れが生まれるのではないだろうか(もっとも、演出技法ではなく思い入れという観点ではこの意見に賛同しない人も少なからずいるだろう。「真版 君が望む永遠~なぜ『感情移入できない』のか~」を参照)。しかしこのゲームでは、そういった人物造形の深化がほとんどと言っていいほど生じない。それは一部の固定イベントを除いた会話が選択式であることによって、それがぶつ切りの極めて散文的なものになってしまっているからだ。例えば、ある人物と部屋で会話していて「ところで何か御用ですか?」と聞かれた時、それをガン無視して他の場所に移動することができたりする。それに対して相手からは何のリアクションもないばかりか、むしろ好感度が上がるといった不可思議な仕様になっている(まあ選択肢が非常に多いためある特定の会話を経ないと好感度が上がらない仕様にすると今度は攻略が非常に難しなってしまう、という事情は理解できるのだけど)。また返答がパターン化されているため、状況が全く変わって情緒不安定だったりするはずなのに、質問に対してはいたって冷静に「ちょっと、よくわかりませんね」と答えたりする始末だ。
生温かい目で見れば、これらをネタとして処理することはできる。
しかし、このようなちぐはぐで必然のないやり取りが繰り返されては、いくら設定や性格を工夫したとしても、ほとんど意味が無い(※)。実際、例えばいくらでも生かしようのある紅緒の奇矯な二重人格的振舞いは冒頭のネタ(つかみ)以上の意味をほとんど持ち得ていないし、その他のキャラについても内面が測れるような有機的な会話は極めて少ないためキャラが立たず、それゆえ行動原理(とその必然性)がつかめなくなる。そうすると、固定イベントでの振舞いが唐突で必然性のないものとしか映らないし、犯行に到る動機づけも非常に表面的な印象しか与えず、また主人公が凶行を止めようとする言葉などもおよそ軽い印象しか与えないのである。また会話が成立していないため、好感度の上昇にも必然性を感じられない。それゆえ各キャラのシナリオも女側から唐突に「やらないか?」と誘われいつのまにかエンディングになっている感じで(笑)、まあせいぜい「吊り橋効果なのかねえ?」と苦笑する程度のものでしかない。またこのゲームで採用されているクローズドサークルは、追いつめられていく切迫感を与えるなどの効果がある。となれば、その演出をしないと意味が薄れてしまうのだけれども、たとえ何人も残虐な殺され方をされようと先述のごときちぐはぐな会話が変わらず展開されるので、各キャラが危機感のないオポンチどもになるとともに、切迫感はむしろ緩和されてしまっている。それに加え、プレイヤー自身が狙われてる切迫感もないとなれば、たとえ時間の制限があったとしても間延びするのは必至だ。
まあ要するに、今回新たに導入された自由度の高い選択システムが完全に仇になってしまっているのだ。
これにより、キャラの魅力、散りばめられたガジェット、クローズドサークルのもたらす切迫感(緊張感)などのありとあらゆる要素が中身のないハリボテと化してしまっている。なるほど例えば犠牲者を助けられるシステムは(「特定の人間を見張る」など)、カルタグラや殻ノ少女においては身近な人間の死がどうしても止められない仕様に対して苦言を呈する人もあったらしいから、一応プレイヤーのニーズを考慮したものとして評価することも可能だ(助けることを選べる以上、助けないのはプレイヤーも共犯関係にある)。しかしそのような「改善点」を考慮してもなお、今述べた二つのフェータルな問題点からすれば、残念ながらクロウカシスを「失敗作」と評価せざるをえない。
というわけで、絵の美麗さなどを考慮しても総点は70点。
まあ凡作に毛が生えた程度というところか。エロはそれなりに使えるので、それも加味すれば75点てところかなwしかし少なくとも、人に勧める作品ではない。以前持ち上げた手前、そのことは強調しておきたい。
※
なお、人によっては、例えば笠井潔が『探偵小説論』で書いたように、推理・探偵小説というのはコードの小説であり、それを人間の個性を重視するような近代小説的視点で評価するのは不適切である、と反論するかもしれない。なるほどそのような評価は、登場人物たちを「駒」と呼んだ上でキャラへの「感情移入」を利用したり(ex.わざとらしく煉獄の七姉妹を痛めつける)、また類似の舞台設定を繰り返す「うみねこのなく頃に」のような作品に対しては妥当であると私も思う。しかしながら、そのような意識・戦略性がクロウカシスにもあるというのには賛同できない。まあせいぜい、エンディングの「後日談」から伺えるようにスカスカなストーリーとキャラを描いて二次創作を誘発しようという意図が見える程度である。
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