7月15日~17日のフラグメント。最初のひぐらしのを除けば、ある程度きちんとした形で記事にしているので、それほど目新しいものはないか。それにしても、ひぐらしは「アイロニーの完成」と「大団円症候群」を書いた後でもう一度プレイし直してみたいものだ。
<深谷、はるひ野→宇宙人→嘘つき>
ひぐらし接続の失敗をリアリティの問題と言う人もいるだろう。ある程度の説得力→ラノベ。しかし、「リアリティ」は人によって異なる(でたらめさか整合性かetc...)。人為100%の問題。もっと突っ込め。性善説?何に騙されるのか、あるいは何に騙され「たい」と思うのか(「いい人だと思いたい」)、という透徹した眼差しが根底にあるがゆえに、真相がわかった今でもなお見る価値があると考える(「祟殺し編で殺人の罪悪感が描かれない理由」)。主人公主観、魅音の語り、赤坂と大石の決意(うみねこの「北風と太陽」)。それが徹底しているがゆえに、「奇跡」の根幹をさえ瓦解させる。自らが利用したものに結局埋没。「わかってやってる」…オウム。歴史を知れ。
<仕事の愚痴は避けたいものだ>→「触れずにきた事柄」
まあそんな状況なので三月からですでに今までの二年分はストレスや愚痴が溜まった気がする(笑)まあそれを書く手もあるのだが、単なる愚痴は読んでて不快になるだろう。何より、仕事に関して突っ込んだ話は意図的にしないようにしてきた。これは宗像の小覇王(最近よく出る)が俺よりも前にブログをやっており、職業を公開していたことで非常に面倒な事態になったのをよく見ていたことが深く関係している。熊本出身とか早稲田についてはいいが職業のバイアスをいちいちかけられるのは面倒だしメリットがあるとは思えない。あと数年か他業種への転職。
<無題>
新しいことを吸収したいという気持ちと今あるものを表現したいという気持ち、さらにはのんびり落ち着きたいという気持ちのバランスがとれず、ただ苛立っている。
<君> 三つの草稿「虚構への埋没・感情への埋没」「Superficial Cynicism」「シニカルさが覆い隠す埋没」
色々言ったところで、でもさあ…となるのは予想できる。それを感覚へのしがみ付きだとか批判するのは簡単だが、あまり生産的だとは思えない。だから、そのような感覚を成立せしめる背景を分析しようとしているのだ。このようなアプローチに対し、個人的な感想だからと特殊性を強調したり、逆に決断力のなさ等を取り上げてこういう人間はやっぱりダメだろうと言う人様々いるだろう。前者は類似の意見多数、後者は様々な要因を無視ないしは軽視しており「真理」には決してならぬ。かんなぎの処女がよかった、てのと同じ。個人的価値観、男の性(さが)…本当に?
<君2>
何で選べないんだよ!じゃあ選んだらどうなる?遥の場合、水月の場合…後者なら大丈夫かな?であの展開(遥を選ぶ場合のみあれほど追い込まれるのは、今までの三年間が遥の代わりとして無化されてしまうから?再プレイ必須)。それでもなお、私たちは選ばなければならないと人は言うだろう。それは理解できる。だが、それは選択の先にあるリスクを考えた上での発言なのか?単に不快感のみ垂れ流すレビューからは、そのような考察があったとは到底思えない=選択の重大さに不思至(か不快感に振回)→選択可能性への耽溺。歴史人物評価(結果からの逆算)、一般性、ひぐらし同時代的考察。語られる「自然」や「本能」はしばしば作られてきた(沙耶の唄草稿)。
<深谷、はるひ野→宇宙人→嘘つき>
ひぐらし接続の失敗をリアリティの問題と言う人もいるだろう。ある程度の説得力→ラノベ。しかし、「リアリティ」は人によって異なる(でたらめさか整合性かetc...)。人為100%の問題。もっと突っ込め。性善説?何に騙されるのか、あるいは何に騙され「たい」と思うのか(「いい人だと思いたい」)、という透徹した眼差しが根底にあるがゆえに、真相がわかった今でもなお見る価値があると考える(「祟殺し編で殺人の罪悪感が描かれない理由」)。主人公主観、魅音の語り、赤坂と大石の決意(うみねこの「北風と太陽」)。それが徹底しているがゆえに、「奇跡」の根幹をさえ瓦解させる。自らが利用したものに結局埋没。「わかってやってる」…オウム。歴史を知れ。
<仕事の愚痴は避けたいものだ>→「触れずにきた事柄」
まあそんな状況なので三月からですでに今までの二年分はストレスや愚痴が溜まった気がする(笑)まあそれを書く手もあるのだが、単なる愚痴は読んでて不快になるだろう。何より、仕事に関して突っ込んだ話は意図的にしないようにしてきた。これは宗像の小覇王(最近よく出る)が俺よりも前にブログをやっており、職業を公開していたことで非常に面倒な事態になったのをよく見ていたことが深く関係している。熊本出身とか早稲田についてはいいが職業のバイアスをいちいちかけられるのは面倒だしメリットがあるとは思えない。あと数年か他業種への転職。
<無題>
新しいことを吸収したいという気持ちと今あるものを表現したいという気持ち、さらにはのんびり落ち着きたいという気持ちのバランスがとれず、ただ苛立っている。
<君> 三つの草稿「虚構への埋没・感情への埋没」「Superficial Cynicism」「シニカルさが覆い隠す埋没」
色々言ったところで、でもさあ…となるのは予想できる。それを感覚へのしがみ付きだとか批判するのは簡単だが、あまり生産的だとは思えない。だから、そのような感覚を成立せしめる背景を分析しようとしているのだ。このようなアプローチに対し、個人的な感想だからと特殊性を強調したり、逆に決断力のなさ等を取り上げてこういう人間はやっぱりダメだろうと言う人様々いるだろう。前者は類似の意見多数、後者は様々な要因を無視ないしは軽視しており「真理」には決してならぬ。かんなぎの処女がよかった、てのと同じ。個人的価値観、男の性(さが)…本当に?
<君2>
何で選べないんだよ!じゃあ選んだらどうなる?遥の場合、水月の場合…後者なら大丈夫かな?であの展開(遥を選ぶ場合のみあれほど追い込まれるのは、今までの三年間が遥の代わりとして無化されてしまうから?再プレイ必須)。それでもなお、私たちは選ばなければならないと人は言うだろう。それは理解できる。だが、それは選択の先にあるリスクを考えた上での発言なのか?単に不快感のみ垂れ流すレビューからは、そのような考察があったとは到底思えない=選択の重大さに不思至(か不快感に振回)→選択可能性への耽溺。歴史人物評価(結果からの逆算)、一般性、ひぐらし同時代的考察。語られる「自然」や「本能」はしばしば作られてきた(沙耶の唄草稿)。
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