ambiguous

2014-10-06 18:11:37 | ぶらり旅

怪しげなクマさんから逃げるように歩みを進めると、竹林が見えてきた。ここはまるで都市と都市の間のエアポケットみたいだが、(新)横浜の近くにこんな場所があるとはね・・・

なーんて感想をしょっちゅう書いているが、これは俺が未だおのぼりさん的感覚から脱却しきれていないことを意味している。というのも、地元熊本福岡などを例にとって考えれば、県全体がいわゆる「都市」的なもので構成されていることなどありえないのはすぐわかる。にもかかわらず、たとえば三鷹高尾を見て「ここは本当に東京なの?w」というギャップを感じる(=「強度」が生じる)→自分にとってネタになるのは、むしろ東京とその近辺がそのような「都市」的場所であるという幻想が強固に生きていることを意味している。

このような見地に立つならば、「旅」とそれにまつわる記事の多くは、それ自体が(大げさに言えば)解放やパラダイムシフトであるように見えて、むしろ強烈な呪縛ないしは桎梏ゆえに成立するものである、と言うことができるだろう(これはイーガンゆめにっき沙耶の唄といったboderにまつわる諸事にも関連するように思える。まあもっとも、だからこそ意識的に「開く」ようにしているのだけども。理由は「そのほうがおもしれーから」だがw)。しかし、もはや幻想を抱くことすら許されぬのならば、どこへ行っても直接感覚に訴えるものしか楽しめず、enjoyabilityが著しく低下して大変そうだなや┐(´д`)┌

 

 

なんか工事現場的なものが見えてきた。こりゃ絶対スペックやシコルスキーが潜んでるな。いや、昨今だと宮本武蔵か?いや、待てよ待て・・・あれは街中で突然死刑囚との戦闘という非日常が出てくることにこそ効果があったのだ。こんな場所でバトルを始めるなぞ下の下よ。とするとむしろこっちか・・・この現場には寄る辺なき存在が「ぶっこまれて」いるに違いない!

あー、つーか「凶悪」の記事まだ書いてなかったわー。あれも境界線とその曖昧さを扱った作品だよね。一見すると、犯人たちは人間を人間と思わない連中である。かと言って思想的背景があるわけではなく(たとえば「セブン」の犯人とは異なる)、ゆえに度し難く同情の余地のない、まさしく「凶悪」「鬼畜」な存在であるように思える。

だとするとこの作品は、頭のオカシイ連中が為す凶悪犯罪を、震撼しつつも覗き趣味的に愉しむためのものであるのか?そうではない。彼らは家族に対する思いやりを持っており、また家族からむしろ大事にされてもいる描写がなされている。これらが意味するのは、彼らは単なる冷血漢ではなく、むしろ「家族-それ以外」という明確な境界線を元に行動しているということに他ならない(念のため言っておけば、家族以外のかなり親しい人間も左側の集合に含まれるが)。これを「親しい人間以外は風景と同じ」と言い換えるなら、かなり様々な事象へと適用できる。有名な例で言えばユダヤ人の虐殺とそれを指導していた人々への身内の評価(以前『夜と霧』に関してそのことを書いた)→「エルサレムのアイヒマン」。あるいはベトナム戦争へ従軍するアメリカ兵に対し、ベトコンを鬼畜だと教え込むことで、虐殺を容易にさせる認知的不協和理論を応用したへの教育などが挙げられる(賢明なる読者諸兄は、ここで「鬼畜米英」といった言葉をも連想するだろう)。

これに加えて有名なカール=シュミットの「友ー敵」理論やシャンタル=ムフのラディカルデモクラシーなど、この作品で描かれる境界線の問題は実のところ極めて普遍的なテーマにつながるのである(そのような見地に立てば、犯人たちの描写が凡庸であるという批判は全くのところ演出意図を無視した的はずれなものであることは容易に理解できるだろう)。

しかも「凶悪」という作品が極めて優れているのは、そこだけではなく、主人公をむしろ「家族を犠牲にしながら公共的な正義を追求する存在」として犯人たちと合わせ鏡のように描いている点だ。このことから単純な善悪二元論を描こうとしていないのは明白だが、賢明なる受け手であればさらに次のようなメッセージをも受け取らざるをえないだろう。すなわち、「これら犯人たちは確かに『凶悪』な連中であろう。しかし、そうして批判している汝ら何者なりや」と(それは抽象的な話ではなく、この事件が高齢化社会や独居老人、彼らへの無関心といった我々にも直結する問題であることに関係している)。

原作は、死刑囚の告白を聞いた著者が少しづつ事件の全容を明らかにしながら「先生」を追い詰めていく展開が読者を否応なく引き込む内容(=サスペンス的な要素が強い)であったが、映画ではそれに主人公の描写を加えたことで前述のような新たな視点を組み込むことに成功した傑作になっている、と言うことができるだろう。私個人としても、「空の境界」に関する記事でも書いたように凶悪犯たちに全く同情はしないが、一方で自分がそういう行為をなすことは決してないと考えには全く根拠がないという立場をとっているので、非常に興味深く見させてもらった。

 

 

あ、なんか少しづつ都会っぽくなってきたで。こりゃ新横浜も近いな。


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