銀河英雄伝説:ラインハルト陣営で若手(新興層)が育たない必然性

2024-10-01 12:04:13 | 感想など
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「どうしてだよぉ~!!!」と某夜神月(竜也版)のように嘆きたくもなるほどの悲劇だ。
そりゃあヤンの陣営がキツイのはわかる。だって「若手が育つ」どころか、中心メンバーも若手ばっかで(中心のヤンにしてからが30前後でキャゼルヌやアッテンボローなど幕僚たちも若い)、人手不足の極致みたいな状況なんだから。でもラインハルト側は違う。なんせ終盤では舞台となる世界のほぼすべての領域を支配し、ちょいちょい若手の存在も描写されてるのに、何で「獅子の泉の七元帥」らを脅かすような若手の台頭がほとんどと言っていいほど無いのか・・・これはもはや不可解なレベルである。
 
 
というわけで、今回の動画では、「ローエングラム陣営ではなぜ若手が育たないか」が考察されており、結論としてそこにラインハルトや双璧を始めとする「既得権益派」と、バイエルラインやグリルパルツァーといった「新興派」の対立を見た上で、前者が後者を潰すというか、その扱いに冷淡であるがゆえに、若手がいつまで経っても台頭しない、という解釈を打ち出している。
 
 
この発想はそれなりに興味深い。というのも、ローエングラム朝はスタートアップ企業から急速に大手へと成長した組織と類比的に見ることもでき、役員クラスも若手ばかりで、多忙を極める上に超実力主義でのし上がってきているから、「自分で盗め・学べ、それができないなら去れ」という発想が(悪気なく)強烈に存在するがゆえに、自然と育成という発想・行動が希薄になりがち、というわけだ(これは織田家臣団にもかなり似たことが言えるため、本能寺の変とも絡めながら近いうち記事にする予定)。しかも何が大変かって、才能に恵まれて人一倍努力したところで、軍事系ならミッターマイヤーにミュラー、ビッテンフェルト、内政系ならオーベルシュタインにケスラーといった重鎮がいるため(しかも30代~40代と若い)、端的に言って上がつかえており、どうあがいても大将・中将級は数十年単位で上にいくことが難しいとわかりきっている訳だ。
 
 
とはいえ戦争(紛争)が起これば、武勲を上げるのはもちろん、シュタインメッツ、ファーレンハイト、ルッツといった上級大将たちの戦死も可能性として出てくるため、そりゃあグリルパルツァー君が叛乱の勃発を消極的に促すのもわからんくはない、という感じになる(実際ロイエンタールの叛乱では、彼自身はもちろん、形こそ違えどベルゲングリューンにクナップシュタイン、シラーやバルトハウザーといった提督たちが軒並み死んでいるので、人事という面では大きな動きが起こっただろう)。
 
 
・・・という具合に見ていくと、「既得権益派」と「新興派」という対立図式は非常に興味深いのだが、一方でコメント欄では違和感を表明するものも散見される。率直に言って、私自身も「理屈としてはわかるが、納得感が薄い」と感じているのだが、その理由は「既得権益派」と定義される人たちが、利益護持のために新興派を抑圧している描写が薄いからではないだろうか?
 
 
で、今述べた二項図式の違和感とその背景を考えるには、何度か取り上げている「作劇上の都合」というメタ視点を導入するのが有益だろう。ではこの視点に立った場合の「ローエングラム陣営で若手が育たない理由」は何かと言うと・・・「主要キャラが増えすぎて困るから(・∀・)」である。
 
 
なんじゃそりゃ!と思われるかもしれないが、これは大真面目な話である。銀河英雄伝説の登場人物の多さは今さら言うまでもないが、ラインハルト側でさらに若手が活躍したり育ったりしたら、キャラが渋滞し過ぎて描ききれなくなることが容易に予測される。この辺りの事情について簡単に記述するとこんな感じだ。
 
1.ヤン側はそもそも人が少ないし、ゆえに若手が増えてなくても違和感がない(そもそも若手ばかり)
2.ラインハルト側は支配領域的にも人材(若手)が増えないと不自然だが、しかしいたずらに登場キャラを増やすと交通渋滞を起こす
3.よって若手(新興層)が登場はするが、その役回りは活躍よりも事件を引き起こす泡沫的存在になりがち
 
 
このように、人物配列の都合を考慮すれば、「描写する人間を増やす必要がないため、やらかす若手をいちいち書かなくてよいヤン側」と「描写する人間を増やす必要はあるが、活躍する人間が増えると主要人物との交通渋滞を起こすため、やらかし班として描写することになりがちなラインハルト側」と表現することができる。
 
 
ここでさらに前述のグリルパルツァーなどに絡む物語終盤の状況にメタ視点を導入するとこうなる。
すなわち、ローエングラム朝は土台が確立し、安定期に向かいつつある。圧倒的な優位性により、大きな事件が起こるのは難しいが、かと言ってこの場面でミッターマイヤーといった「身内」がやらかすのは不自然だし(彼らのキャラがブレる→作品評価が下がる)、また敵対するヤン(ユリヤン)側も変なことはできない(彼らのキャラがブレる)。要は、安っぽいドラマでありがちな「事件を生じさせるがための間抜けな行動」は、これまで営々と描いてきた人物像との矛盾を生じさせ、もって物語自体の評価を下げるから採用できないのである(ちなみにミッターマイヤーの「若手が育っていない」発言は印象的だが、これはおそらく作者による「活躍する新興層が全然出てこないことへのエクスキューズ」ではないかと私は見ている。つまり、そういう状況への違和感をちゃんと理解していますよ、というわけだ)。
 
 
ならばどうやって事件を引き起こすか?銀河帝国の数多いる二番手、三番手=若手たちが、功名心にかられて事態を引っ掻き回すしかない(ある種「君側の奸」的発想に近い)。そしてそれだけだとさすがに説得力がないため、そこに弱体化する敵対勢力(地球教)やそれを利用しようとする内部勢力(オーベルシュタイン・ラングのライン)の蠢動が加わり、大規模な事件(ロイエンタール叛乱)を生ぜしめる、というわけだ。
 
 
ことほどさように、銀河帝国の若手は「やらかし要員」として物語を駆動するのに便利な存在であり、ゆえに「若手が育たない」というより「若手が育ってもらっては物語展開上困る」というのが実情だったのではないだろうか(ちなみにここで、最後の大規模な戦闘でユリアンたちがラインハルトと会見までできたのは、ラインハルトの体調不良(皇帝病)あってのものだったことを想起したい。あまりに実力差があり過ぎるゆえに、こういった「敵失」的要素が何かしらないと、ユリアン側が重要な成果を上げることが、少なくともそれを説得的に描くことがもはや難しくなっていたと言える)。
 
 
以上が、ラインハルト側で若手が育たない理由(必然性)である。言い方はあれだが、特に終盤においては、各キャラクター像を損なわないようにしつつ、しかし事件が起こらないと話が進まない以上は、その起爆剤をどう用意するかに苦慮している様が窺えるわけだ。
 
 
そして、こういった視点にある程度納得してもらえるならば、「既得権益派」VS「新興派」という見方に首肯しづらい人が散見されるのも当然のことと理解されるだろう。というのも、以上述べた作劇上の都合からは、泡沫的な若手=ダメな新興派を描く必要はあるが、一方でラインハルトやミッターマイヤーたちを積極的に悪者として描写する必要はないからで、むしろそれを避けるための「暗部の引受先」が新興派たちだとさえ言えるためだ。つまり、「既得権益派」と定義された人々による積極的な若手潰しが描かれない以上は、彼らが自分たちの利益を守るために育成もしないどころかむしろ積極的に活躍の芽を摘んでいる、という見方は成立しえない。よって、前述のような二項図式は理屈としてはそれなりに考えられているが、納得感は得られない、という結果になってしまうのではないだろうか。
 
 
なお、こういう一歩引いたメタ視点は、作品理解に水を差すものとして嫌がる人もいるかもしれないが、「とにかく作品世界だけを深く深く読み込むことこそ是」という(しばしば不毛になりがちな)深読み競争がごときものへの歯止めとして、非常に重要な調整弁だと私は考える。
 
 
銀河英雄伝説については、実際の歴史や歴史小説とのアナロジーで語る向きも多いし、本作がそもそもその影響関係から成立している以上当然のことと思うが、実は小説であれ歴史史料であれ、その内容を読み解くときに一歩引いた視点を持っておくのは極めて重要である。これに関しては、五味文彦『平家物語、史と説話』や藪本勝治『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』などが参考になるが、これについても近いうちに取り上げてみたいと思う。
 
 
以上。

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