群馬やら茨城・栃木への短期旅行を繰り返してたらカンボジアの記憶が急速に薄れてきたので、そろそろアンコール・ワット探検記の続きを書いておきたい。
さて、一番外側にあるレリーフ部分から奥に進むと、回廊部分に出た。
様々な部分に風化と改修の跡が見られるが、
かつての優雅な装飾・色合いが残る部分もあり、そんな過去との連続・断絶がモザイクのように入り乱れていて強烈な眩暈に襲われる。
おお~仏像やん。え、それがどうしたん?と思うかもしれないが、外側のレリーフを思い返してみませう。
そう、マハーバーラタや乳海攪拌といった、ヒンドゥー教関連のもので占められていた。
しかし、
この回廊の間は数多くの仏像で占められている。
これはアンコール・ワットが始めヒンドゥー教寺院として建造されたが、後のジャヤヴァルマン7世の時代に仏教を保護するようになったという事情が関係している(まあ彼の死後しばらくして仏教弾圧の嵐が訪れるのだが・・・)。
ただ、以前も紹介したように、その中にはナーガ(ヒンドゥー教における蛇の神)の守護を受けながら座禅を組む仏陀象もあるわけで、日本の神仏習合(本地垂迹説)とはまた違ったシンクレティズムが見られて大変興味深い。
日本の宗教的特性を述べる際、必ずと言っていいほど多神教に言及されるのだが、その割に類似性を持つ他国の状況にはほとんど無関心か、もしくはそれぞれを知っていても両者を全く類比的に捉えない人が多いのは極めて驚くべきことである(「自己否定=お辺土」と「自己肯定=神国思想」のスイングバックの件でも触れたように、これぞ島国根性のなせる業というものか)。
ってそんな貴重な遺跡に、らく、が、き・・・??
そんなブチ切れテンションを、艶やかな装飾の残り香で鎮めながら、さらに奥へと進むのであった。
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