それにしても、バンパインと聞いて バインバインとか、パイ〇ン(シュリーヴィジャヤの首都ではない)を連想するのはmy soulが穢れ切っているからなのか、はたまたタイ人のネーミングセンスが日本語のアカシックレコードと相通づるものがあるのか(゚∀゚)アヒャ
ともあれ迎賓館的な西洋風建築の次に案内されたのは中華風の建物であった。
なんか「ラストエンペラー」の情景をデフォルメしてタイで見るなんて不思議な感じだなあ。ではさっそく頭を打ち付ける作業でも始めるかね(゚∀゚)アヒャさて、地面と九回お友達になったところである疑問が湧いてきた。なんで中華風建物なのだろうか?話の上手いガイドさんの説明によると、華僑が国王のテニスコーチをやっていたとかいう縁があるらしい。ほう、興味深い。ん?では背面のコレは何だ?
ガイド氏の説明によれば、三国志に関するものらしい。高山でも関羽を称揚する掛け軸があったけど、本当なんでこんなに多いのかねえ。俺としては「三国志 きらめく群像」の読み過ぎで、孟徳といえば「腐ったムスコのせがれのせがれ」という言葉が連想されたりとかなり亜空間な印象しか残ってないので、どうもピンと来んのよなあwまあ文武両道で枠にはまらない奸世の雄、最期まで義を貫き通した大臣、といった具合にそこで登場するアクの強い人物たちが後世のモデルケースになったということなんだろうけど。それにしてもなんでタイで三国志・・・ん、待てよ待て。テニスコーチ→コーチ→虎痴・・・これかーーーー!!!!じゃあここは許褚を祀るための場所なのだな。だとすると・・・やばい、みんな逃げろ、裏切り者に囲まれてるぞ!絶影はどこいった!!
なんて別の豪傑と勘違いした挙句に錯乱しつつカクカクしてるのでガイドの話もなかなか入ってこない。しかし耳に入ったところでは、この床は一枚一枚が手作りによるものらしく、大変貴重なものなんだそうな。機械化している昨今、改めて手ずからのmasterpieceが注目を集めている。特に1000万円もする時計などはその典型であろう。
さて、このような「職人芸」もまた人工知能が発達すれば入れ替え可能なものとなっていくのであろうか?たとえば書道でいうなら王羲之風、顔真卿風が人目には見分けがつかないほど完璧に模写されたなら、それを人はどう判断するのであろうか?とギャラリーフェイク的なことも考えながら宮殿を後にした。
外から見た黄色と赤の組み合わせは、昔訪れた横浜中華街の道教廟を連想させ懐かしい感じがした。ほいじゃあ塔に上るとしようかね。
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