アユタヤツアーは突然に始まったわけだが、二日酔い気味+睡眠不足で今一つ調子がふるわない私はバンから外の景色を見ながら何とか体調を整えようと苦心していた。
バンコクを離れると、やはりというか、一気に「東南アジア」のイメージに連なるような風景が広がっている。端的に言えば、熱帯風の植物が生い茂っていて昔ながらの家屋が建っている、という様である。それを懐かしく思っているうちに最初の目的地に到着。実はどういうルートで移動するのかすら頭に入っていなかったが(←雑すぎ)、なるほどバンパイン宮殿ですか。
自然の多いこの場所を歩く中で、体調を整えるべし。庭園を楽しむよりも、まずはホメオスタシスの回復が優先であるが、ここに到着する頃にはそこそこ頭も回るようになっていた。
はい、有名な景色ですね。つかスタッフが300人もいるというのがすごいが、まあこれだけの規模と美しさを維持するには当然か。なお、個人的にはスコータイの質実剛健な様式が好きなので、チャクリ朝のゴテゴテした建物には魅力を感じないムッカーであります(だから学生自体にタイへ来た時も、スコータイ・アユタヤは行ったがバンコクはほとんどと言っていいほど見て回ろうとしなかった)。
一目でわかるように、西洋的な建築である。近代化(西洋化)を推進したチュラロンコーンが作ればまあそうなるわけだが(もちろん単なる趣味の問題ではなく、鹿鳴館的な意味合いもある)、外部のものを積極的に取り入れていこうとする合理性は、タイが東南アジアで唯一独立を維持することにも貢献した重要な要素である(もちろんそこには、インド→ビルマと帝国を拡大するイギリスと、インドシナ連邦を作ったフランスとの間でタイがちょうど緩衝地帯になっていたという地政学的な要因もあるし、また日米和親条約と似たボウリング条約、すなわち不平等条約を列強と結んだりと、苦しみながらの独立維持であったことを忘れてはならないが)。
チュラさんは展望台が好きだったらしく、これも彼が作らせたものだそうです。これを見た時、蜂や有毒生物を思わせる何とも毒々しい色やのう(端的に言うと趣味が悪いw)・・・と思ったのは俺だけであらうかw
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