を語る時、そこに議論を帰着させることが社会的にどのようなメリット・デメリットがあるのかという視点がなければ、それはただの信条語りであるか、事によるとルサンチマンの隠蔽でしかない。
ただの主観・実感をあたかも「錦の御旗」がごとく社会に直結させている(しかもそれで社会を停滞させかねない)という点においては、正しく「売国奴」的であるとも言えるだろう。
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます