荷物を駅のロッカーに預けて聖堂に戻ると、さっきの兄ちゃんが芝居がかった感じで招き入れてくれた。
さすが100メートルを超す建築物だけのことはあり、重厚で荘厳な雰囲気である。
物語が織り込まれているだけでなく、外の光と相まって神々しさを感じるステンドグラスの演出もさすがと言わざるをえない(どこまで演出かという問題はあるが、光の射しこみ方に神域を感じさせるという意味では中尊寺の参道などもそれに匹敵するものだ)。識字率の低かった当時、いかに宗教的空間=コスモロジーを現出し、信徒の信仰心を惹起するかは極めて重要な問題であった。
ケルン大聖堂は「ゴシック」式と呼ばれたが、それは「ゴート」族に由来し、ゴート=ゲルマン=野蛮人という連想から生まれた侮蔑的な意味合いを持つ。高い尖塔を特徴とする建築様式が古代ローマのような様式とはかけ離れているということで、イタリアのラテン系の人々がそう呼んで嘲ったのである(南方ヨーロッパに多い「ロマネスク式」という様式を連想されたい。まあ建築技術の問題だけでなく、南方ヨーロッパは地中海性気候で乾燥していて砂嵐などが多いという点も窓が大きくない理由の一つらしいが)。
しかしながら、構造上の問題で大きな窓がつけられず閉鎖的なロマネスク式とは違い、開放的で光を宗教空間の演出に取り込めたゴシック式は、中世ヨーロッパにおいて新たな地平を切り開いたのは間違いないだろう。
・・・とか何とか。そういや高校の時にあった謎アンケートで「自分の行きたい場所」というものがあって、イグアスの滝とケルン大聖堂って書いた覚えがあるなあ。そのうち一つを成し遂げた割にはえらい冷静であるw
まあおそらく、フランクフルトが工業都市で、ケルンまでの電車は通勤時で、大聖堂の周りは普通の街並みなので、変性意識状態になってないのが原因だろう。
一旦最深部まで行ったので、ここから戻る。
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