前回の記事で推理という側面を取り上げ批判したように、推理ゲームという点でのひぐらしの株は暴落したと言わざるをえない。ひぐらしにおける推理とはまさに「羊頭狗肉」であった。もし製作サイドが羊頭と触れ込むようなことをしなければ、このように批判する必要もなかったのだが(まあ苦笑程度で済んだだろう)。これに関して突っ込むべき点はまだあるが、詳しくは次の機会に譲りたい。とりあえずここでは、皆殺し編のスタッフルームの内容や祟殺し編の紹介文の変化からは、製作サイドもプレイヤーの反響に対して戸惑っている様子が窺える、というフォローを入れておくことにしよう(つまり製作者サイドも平気な顔して狗肉を売っていたわけじゃないってこと)。
※意味がよくわからんという人のため説明しとくと、例えば「爽快アクションゲーム」という触れ込みのゲームがあったとして、アクションがショボかったらそれが批判の対象になるのは当然よね、ということを言っているのだ。
これが皆殺し編を終えて生まれた重大な批判点の一つ。もう一つは主要キャラの特殊能力(?)なのだが、これは次回祭囃し編での説明を待ちたいと思う。ただ、よほどの説明がされたとしてもここは批判すべき点になるだろう。なぜなら、ひぐらしはドラゴンボールではないからだ。特殊能力のようなものを安易に取り込んでるとしたら、絶望的な戦いや殺人計画の迫力・重みは薄れてしまう。
ここまで批判点を述べてきたが、物語の必然性や演出は非常に高いレベルにあると思うし、皆殺し編はこれまでの内容をしっかりと念頭に置いた展開だった。だから、以前書いたランキングでの地位は、かなり揺らいだけれども変化はしていない。
もっとも、物語の必然性を放棄して(信じれば叶う的な)「ハッピーエンドのためのハッピーエンド」を描くようなら、こちらとしては容赦なく斬り捨てる用意ができている。それは単にしょうもない終わり方というのにとどまらず、今まで描かれた圭一たちの努力、それにもかかわらず訪れる悲劇という積み重ねを台無しにしてしまうものだからだ。必然性があってこその生々しい怒り、悲しみ、そして喜びだったことを忘れてはならない。
※意味がよくわからんという人のため説明しとくと、例えば「爽快アクションゲーム」という触れ込みのゲームがあったとして、アクションがショボかったらそれが批判の対象になるのは当然よね、ということを言っているのだ。
これが皆殺し編を終えて生まれた重大な批判点の一つ。もう一つは主要キャラの特殊能力(?)なのだが、これは次回祭囃し編での説明を待ちたいと思う。ただ、よほどの説明がされたとしてもここは批判すべき点になるだろう。なぜなら、ひぐらしはドラゴンボールではないからだ。特殊能力のようなものを安易に取り込んでるとしたら、絶望的な戦いや殺人計画の迫力・重みは薄れてしまう。
ここまで批判点を述べてきたが、物語の必然性や演出は非常に高いレベルにあると思うし、皆殺し編はこれまでの内容をしっかりと念頭に置いた展開だった。だから、以前書いたランキングでの地位は、かなり揺らいだけれども変化はしていない。
もっとも、物語の必然性を放棄して(信じれば叶う的な)「ハッピーエンドのためのハッピーエンド」を描くようなら、こちらとしては容赦なく斬り捨てる用意ができている。それは単にしょうもない終わり方というのにとどまらず、今まで描かれた圭一たちの努力、それにもかかわらず訪れる悲劇という積み重ねを台無しにしてしまうものだからだ。必然性があってこその生々しい怒り、悲しみ、そして喜びだったことを忘れてはならない。
そうですね、仰るとおり「楽しかったです」とかいう感想には違和感を感じますね。話の展開としては「陰謀説」で私は書き込んでいましたが、まさかここまでとは・・・
「ひぐらし」は何なのか?というのが大きな問題だと思ってます。当初は推理ものだったけど、メディア展開の過程で、「ラノベ」化していったというように考えています。
熊八さん(ここでこのようにお呼びするのは不適当かもしれませんが・・・)はゲームや小説にも詳しいようなので、これからもこのブログ拝見させていただきたいと思います。一応、拙作のHPのアドレスも書き込んでおかせてください。
これにて失礼します。(「サフィズムの舷窓」そんなに面白いんですか。私はちょっとしかやってないもので・・・。この作品、OPで「絢爛」を「じゅんらん」と歌っているのでびっくりした覚えがありますw)
>「ひぐらし」は何なのか?というのが大きな>問題だと思ってます。当初は推理ものだった>けど、メディア展開の過程で、「ラノベ」化>していったというように考えています。
これについて今日皆殺し編感想スレにも書き込みましたが、ひぐらしの方向性は一つに限定できないし、すべきでもないと考えています。その上で、あくまで一要素たる推理に大きな問題がある、と感じたわけです。
またひぐらしがその様相を変化させてきたことは確かですが、そのずっと前から事件の内容は決まっていたわけです。つまり、話の見せ方はともかく話の内容は変化していないということになります。これに加え、真相を知らない立場に帰って皆殺し編の内容を見たとき、果たして真相に辿り着けると感じるか、というところがキーポイントだと思うのです。
どうもみなさん真相を知った視点のみでひぐらしを評価しているように感じるのですが、「推理ゲーム」という売り込みを(特に当時は)前面に出していた以上、祟編の時点でこの内容に辿り着けるか?暇編では?目明しでは?という通時的な視点が必要になってくると思います。そしてその視点で評価すると、今回の解答は「何でもあり」「駄作」というものになるわけです。
長くなってしまいましたが、このブログにある作品の記事がバイシさんの糧になれば幸いです。
※サフィズムはですね…推理が目的じゃないと割り切ってやれば傑作だと思いますよw推理モノと言うより、事件を巡る人間ドラマに重きが置かれていますので。製作サイドもそれを自覚していたらしく、旧サフィズムの紹介ページでは詳しいキャラ紹介がメインになってます(上の名前の部分から飛べます)。ちなみにプレイ順は「ソヨン→アルマ→アイーシャ」がオススメです。