ウクライナ戦争の教訓:構造の整理と戦前日本との比較

2023-08-26 11:24:43 | 歴史系

 

 

 

 

ウクライナ戦争は今も続き、日々新しい情報が更新され続けてはいるが、情報の整理であるとか、この事象からどのような教訓を引き出すかといったことも継続的に考えていく必要がある・・・というわけで、この戦争を振り替えるような配信を二つ掲載してみた。

 

小泉が何度も指摘しているが、「ウクライナ側=絶対善、ロシア側=絶対悪」とみなすのは一種の思考停止であり、そこからは何も生まれない。一方で、そのことから「どっちもどっちだ」といかなる局面においてもイーブンに物事を捉えることが最もバランスの取れた解釈だと考えるのも、少しばかり賢しらな人間の陥りがちな愚かさである(例えば自分はウクライナ戦争に触れた頃から、そもそもアメリカが度重なる侵略戦争を行ってきたことに言及してきたし、ウクライナ陣営=ゼレンスキーたちが全きの聖人であることなどあり得ない。ただそのことをもって、この戦争をウクライナ側とロシア側双方に同程度の非があると考え、あたかも「最も中立的な見地で評価している」かのように自己認識するのは、全くのところ馬鹿げているという話だ)。

 

より抽象化して言えば、「理念を冷徹な観察眼の妨げとしないようリアルポリティクスの立場に立ちながら、しかしニヒリズムは慎重に回避する」という、穏健な懐疑主義に基づいた永遠の微調整がやはり重要と言えるだろう(まあ常に是々非々で考える、というのは頭脳面・精神面で負荷がかかるため、自分の気持ちのいい情報しか見せないシステムの進化=AIなどによるアーキテクチャーの変化が日々生じているので、このスタンスが広く浸透することは基本ないだろうけど)。

 

ところで、今回のウクライナ侵攻を見ていると、ロシアの有様がどうも日中戦争を始めた頃の日本と重なるのは私だけだろうか?すなわち、クリミア併合がウクライナにとっての第一次の戦争であったというのは、満州事変が中華民国にとっての第一次戦争であったとみなせるし、あるいはクリミア併合などでの楽勝ムード→ウクライナ戦争泥沼化という流れは、日清戦争などの記憶→日中戦争を舐めプで開始→ゲリラ戦で泥沼に引きずり込まれる、というかつての日本を想起させる(まあついでに言えば、日中戦争が始まってからは本格的に連合国側が支援するようになったという点も、今回のクリミア併合時とウクライナ戦争への欧米諸国の温度差と比較してみると興味深い)。

 

さらに言えば、ロシア国内における政府批判とその後の投獄(まあレイヤーは違う存在だが、つい先日プリゴジンが召されたようですな)は日本政府の批判と特高警察による連行・拷問、そしてマスメディアとの共犯関係など、他にも符号する点が多い。あと、いや~ウクライナなんてすぐに制圧できますよ!ぐらいにプーチンに伝え、その判断を誤らせた可能性があるという空挺部隊の司令官とかは、上司の歓心を買おうと都合のいいことだけ言ってゴマをするクズ野郎が全体の戦局に大きな影響を与えた例だが、これは空気を読んで忖度する=物資の少なさを冷静に指摘して敗北主義と非難されることを避け、精神力で何とかいたします!とか言っちゃう未完のファシズム戦中日本のことを想起せずにはいられない(ちなみにこの話は、とある有名な作品を元に別の記事でまた書きたいと思っている)。まあもちろん、プーチンのロシアと大政翼賛会の戦中日本は全体主義的に見えて違うところも沢山あるけどね。

 

ちなみに、ロシアの話だけではない。ウクライナについても、ダースレイダーとの対談では「今こんな状況でもウクライナは汚職やってんのかよ!」と呆れる話が出てくるが、さて戦中の日本軍や政治家は如何?て話だし、何だったら終戦間際でも自分のポジション誇示のため鈴木貫太郎の過去の発言を不敬として上げ足取りをしていた議員なんかもいたぐらいである(まあ要するに、「クズはどこにでも存在する」ということなのだろう)。

 

というわけで、もう意識の上でパレスチナ化・シリア化しつつあるウクライナ戦争について振り返りつつ、戦前日本とのアナロジーを考えてみた。それではまた。


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