フラグメント22:共感と絶望・引きずりおろし、ひぐらしと内省の視点

2008-01-12 00:59:26 | フラグメント
共感とは何か9>
問題は、共感が曖昧なままにされていること(他者は他者。昔の自分でさえよく見知った他人に過ぎない)。同一化に拍車をかけるだけ。

スタジアムの雰囲気で盛り上がる…テレビ観戦は?その場にいなくてもいるような感覚→共感をテレビやゲームにも適応、昔なら、長く接したりその場にいたため共感はありえたかも。しかし今は、その[特設接する]機会が減っているにもかかわらず、共感という言葉、ないしは共感できるという思い込み[=無意識の同一化傾向]だけが一人歩きしている。


それがもたらすのは押し付け、誤解、諍い、そして絶望である。


[藤岡]ハルヒについて
ハニー[くん]…ちゃんづけと崇、ハニートースト大好き[※2]、京也[鏡夜が正しい]による買収など数多くの無茶はまあ置くとしても、随分と強引な終わり方、どっちともつかないハルヒの感情、いきなり表れた女、京也のが伏線のつもりだろうがイマイチ。[ハルヒの]お父さん[出場頻度が]微妙…メンバーを食っちゃうし?

ちょっと話を大きくしすぎた感あり。ハルヒと環を単純にくっつけないバランス感覚があるなら、もっと小規模ないさかいにできたんじゃないか?至る所唐突さの嵐じゃ今までとのギャップもあってマイナスイメージ。軽井沢での諍いくらいでちょうどいいと思うけど(すでに十分非日常だし)。あるいは二期狙い?

※2
まるで意味がわからん。多分頭の中があまりの可愛さでオラオラされていたに違いない。ちなみに、基本的に(弟でさえ)「ちゃん付け」のハニーくんが、崇だけ呼び捨てにすることで関係の深さがよく表れているなあ、という話。いやでもこの子はメガトン級に萌えるで。二人羽織でそばを食べるシーンやお菓子をねだるシーンなどを見るときは、意識を失わないようあらかじめ輸血をしておくこと(アカギに習った)が必要である。


<ハルヒについて 通>
原作終わってないのではっきりと終わらないのは予想していた。しかし、こうもあからさまに消化不良というか宙吊りになったのは、二期への布石(必然性の創出)だと考えれば説明がつく。ハルヒの環に対するも周防と鳳の関係も突然表れた女の気持ち(心残りな感じ)も次へと繋がる。裏面をネタとして出す(批判封じ)→ずれた人たち→わかりやすい内面、背景、ギャップ好き[※3]。

※3
まるで毛色の違うように見える共感の話とハルヒの話は、この点で繋がる。「共通項を見出すことで親近感が湧く」というのは理解できるが、もしその傾向がひどくなれば、「どうせ同じ穴のムジナ」的な引きずりおろしの精神へと繋がるだろう。いやそもそも、登場人物たちの孤独と受け手の経験してきた範囲の孤独って同一なのんだろーか…んなはずないと思うけど。

ちなみにこの視野の狭さは、歴史上の人物を引きずり下ろすか極端に偶像化してしか理解できない傾向を生み出すばかりでなく、マスメディアなどの加工・歪曲にもよく利用される。当たり前のことだが、偉人などとされる人間が自分達の基準に合致するとは限らないし、ましてや容易に共感などできるはずがないのである(生きてる状況が全く違うし、直接的な経験を分かち合ってもいないからだ!)。


<狡猾機動隊[※4]>
昔それを強く意識していたわけじゃないし、説明もできなかったろう。ひぐらしを通過し「眼差し」を獲得した今、それを解析し語ることが可能になったのだ。こういう書き方ではあまりその意味が理解できないだろうが、それはあたかも字を知らない人が字を覚えることによって新たな自己表現方法を覚え、自分を客観視する機会を獲得して自己を新しく変容させる契機を得たに等しい(→書くことの効果)。 アクションジャクソンと褐色?

※4
面白半分で思いついただけのフレーズで、特に意味はない。しかし仮に公安9課をこう呼んだとしても、「正義の味方」を自認しているわけではない彼らには何の痛痒もなさそうではある。
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