2010/9/21 フラグメント138の続き
<「空気」の虚構>
「空気」コミュニケーションの解除、「ノーマライゼーションの地獄」の徹底的自覚なしには、再帰的思考が一般的になる環境たりえない。日本国憲法に際しての本「みんなが決めたことは間違わない」→歴史的な多数派の暴力を忘れた白痴的物言い(「信教の自由」が断念か、上からの「恩恵」か)。あるいはA級戦犯に全てを押し付けた集団的忘却。過去に目をつぶるものは、結局のところ現在に対しても盲目となる。にただし、これらの批判には合理的適応・構造的必然の眼差しがなければ無意味。システムへの志向・思考の不可欠性。病名を知っていて治し方を知らないのと同じ。二項思考・勧善懲悪的思考停止を防ぐには・・・「ヒトラー最期の」、「沙耶の唄」での引っかかり。(阿部次郎的)葛藤の自己目的化が論外なのは言うまでもないが。
<再帰的思考の生まれるところ>
他の存在から自分が他者として見倣わされ、「あなたは何者か」と問われる社会でなければ、自らの由来を問う機会・必要性は少なくなり、結果として再帰的思考は一般的たりえない。トルコと「無宗教」。さらに「空気」のごときものは同調圧力となってノイズの排除、無害化。同時にたこ壺化。ともに再帰的思考は必要ない。場の雰囲気と自己肯定の羊水。結果として、多様性に怯える。現象はそうだとして、解決策は?踏み出す前の共通前提、動機付けが必要。じゃなきゃいくらでも羊水に浸かれるのにわざわざ外界になど出るものか。「小さな真理」に閉じこもるだけ。
<ABC(アベシ)マート別館、自慰識>
自分を慰めるための、自己肯定のための予定調和。そしてそれへの疑念。勧善懲悪への懐疑はその下部構造にある。狂気を求めたもう一つの理由。「エロゲー」は明確な偏り。非日常、人肉、戦争映画の影響は?複雑な由来ではなくもっともらしさが必要な時には。宗教と思索。天国という設定。あるかないかなど論じても究極的にはナンセンスだ。なぜなら僕らには知りようがないのだから。戦略的・機能主義的な側面にスポットをあてる他ない。苦難の理由付けと逆転への期待→入信の動機付け。今成功・幸福な者も将来への不安により同じ作用。そういう視点があるかないか。後期プラトン的・カント的。しかし科学にそのような志向性あること意識してる人どれくらいいる?理学より工学、経済より経営が重視されるようになって
<嘲笑の淵源、マーワラーアンナ、ガープ要町>
ローティ的な真理の断念。人肉の話に対する同級生や教師のナイーブな反応。人間性に対する信仰と想像力の欠如。同情はできても共感はできない。周りは「いい人」ばかり。学力や人の良さとは関係がない?→アホでマヌケな~。情念に満ちた作品群を評価する理由。サプリメントはさらに麻薬へと変貌。感動や悲劇そのものよりもむしろ、定型化された感動や悲劇の構造、それらを支える精神性を指摘する行為を「感動モノが嫌い」とか「素直に笑ったり泣いたりできない」とみなすような態度をこそ私は嘲笑する。安心の予定調和、あるいは予定調和のジャンクは、偶然性思考を遠ざける。
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