「いざアメリカとの戦争が始まれば、神風が日本を守ってくれる」と言われ、「神州不滅」などと嘯かれたことはよく知られているところである(まあそもそも、元寇の襲来を神風が救ったというこれまでの解釈自体が再検証を求められているのだが)。
しかし実際にはそんな都合のよいことは起きず、むしろ敗戦の約一か月後に枕崎台風と呼ばれる巨大台風が日本へ上陸し、九州はもちろん、原爆の爪痕が残る広島へ壊滅的な被害を与えたのであった。
蓋し「神風」なる発想は、総力戦体制が整わず、アメリカと戦えば必敗と考えられる中、言わば「未完のファシズム」を糊塗するための幻想として機能したことを示しており、また広島が原爆の投下対象となったのはアメリカが新型爆弾の破壊力を検証するために選定したのであるため、枕崎台風がそこに甚大な被害を与えたことを含め(そもそも)、「神罰」のような捉え方は全き妄想の産物と言えるだろう。
要するに、自然はあくまでそれとして存在しているのであり、そこに人間の都合を読み込むのは疫病を「神罰」とみなしたり彗星を「凶兆」・「圧制」のメッセージと捉えるような前近代の神がかり的発想であって、それを基準に事の是非・善悪を判断するのは有害無益であるという教訓を、この災害から得ることができるのではないだろうか。
この世界認識は、できもしないものを勝手にコントロール可能だと思い込むことから生じる「一切皆苦」の話とも深く関係しているが、あるいは以前紹介したように、「この世界の片隅に」ではその手前勝手な認識のズレが笑いのめされ、その上でたくましく生きていく人々の姿が描かれていたことを指摘しておきたい。
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