出生率低下を本当に止める気はあるのか?

2007-08-15 23:42:30 | 感想など
以前少子化問題についての意見を述べ、世界規模で見ると、実は日本の少子化は将来的に良いことなのではないかと書いた。今回は、少子化の原因は皆が自分のことしか考えないためだ(自己中心的人間の増加)という見解について論じてみたい。


彼らは言う。「出生率が低下しているというのに自分の楽しみや生活のことしか考えず子供を産もうとしていないのはけしからん」と。なるほど過疎化が問題になっている状況を考えれば、少子化から人口減少が生じれば経済的ダメージになりうるし、また高齢化社会という展望からすれば子供を多く作っていかないと社会や税制、福祉などが回らなくなるという可能性はある。しかし、上の発言内容では本当に危機感を持っているのか、本当に状況を打破すべきと思っているのか疑問だ。


なぜそう言えるのか?まず、大概の人が「国のことを考えろ」と言う際には諸外国や昔の日本が想定されていると推測されるが、世界で一体どれだけの人が「国のために」と意識して子供を作ったり、あるいは今なお作り続けているだろうか?例えば王族や貴族などの限られた人たちの中には持っていた、あるいは持っている者もいるだろう(意識の対象は国家ではなく王朝[≒家]と言ったほうが適切な場合が多いが)。あるいは戦中の「産めよ、増やせよ」というスローガンの中ではそういう意識を持っていた人が結構いたのかもしれない。とはいえ、非常に限られた状況に置かれた人々しか、国家や社会のことを思って子供を作るということはしなかったのだ(※)。


要するに、日本人は国家や社会のことを考えていないから子供を産まないというより、そんな意識を持って子供を産む人たちがほとんど皆無なのである。そして我々は、個性が尊重され、かつ国家が軽視されがちな国において、かつてほとんどの国や社会が持ちえなかった「国家のために子供を産む」ことが必要とされているのだ。そう考えれば、少子化を本気でどうにかしようという意識のある人から「もっと国家のことを考えろ」などという浅はかな発言が出てくるとは思えない。まさか戦時中のスローガンを人々が受け入れるとは思っていないだろう。あるいは人々の意識が昔の王族や貴族と同じになればいいのか?それはほぼ100%不可能である。かつての王族達は特殊な境遇にあればこそ、また自分たちの後継者がまさに政治と直結していたからこそ子供の出産を国との関係で考えることができた(しかしこれは前述のように国よりも家と考えたほうが適切な場合が多い)。しかし我々の社会は望まなくても参政権を得られるため特殊な境遇にいるどころか皆同じような立場だし、それゆえ自分の子供だけが政治に直結する存在とは誰も思わない。ゆえに、昔の特殊な人々と同じ意識で子供を産むことは絶対的に無理なのである。


結論。
もし本気で少子化をどうにかしようと思うなら、国家への意識を高めよと叫ぶよりも、合理的な、例えば生活支援などの方面から責めなければならない。



例えば人の少ない社会では「子供を産む=働き手の確保」などといった意味があったと思われるが、1億2千万の日本においてそういうフェータルな、あるいは生物学的な理由で子供を作らなければという意見は全く説得力を欠いている。
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