袖井林二郎『拝啓マッカーサー元帥様~占領下の日本人の手紙~』

2006-11-15 02:05:23 | 本関係
2002年 岩波現代文庫。二次大戦の敗北後、GHQの占領下にあった日本人がマッカーサーに宛てた様々な手紙が紹介されている。構成は、プロローグに始まって「身をすり寄せて」「人々は招く」「敢えてもの申す」「護られよ陛下を」「天皇を廃されよ」「父として男として」「感謝の贈物」「贈物さまざま」「私の意見をぜひ」「左せんか右せんか」「我に良策あり」「願いごと多々」「切なる願いを」、エピローグというもので、各章の表題に合わせた手紙が紹介されるという形式。



(感想)
まず最初に指摘しておくべきことは、史料そのもののおもしろさだろう。例えば前に書いた贈物の話であるとか、あるいは「あなたの子供をもうけさせてください」とわざわざマッカーサーに手紙で言う心性など数多い。しかも単に内容だけではない。「帥⇒師」といった多くの誤字が見られることもまた興味のひかれるところだ。というのも、昔「当時は当て字という行為に対し大らかだった」といった一節を何かの本で読んだことがあり、それも含めて当時の国語の教育法に関心が湧いたからだ。もしそれが正しいとすれば、今見ると単なる誤字にしか思えないものも意図した当て字だったりするのかもしれない(例えば強烈な意味を込めたいなら、決意を「血意」とした方が伝わるだろう)。今度暇があったら調べてみたいと思う。


ただ問題なのは、この史料のおもしろさにもかかわらず著者の分析が表面的だったり非常に偏っている場合が少なくないことである。前にも触れたので詳しくは書かないが、表面的な分析をした挙句に民族の特性が云々とか言っているあたりはかなり酷い評価の仕方と言わざるをえない。また政治状況の分析などは当然行われているわけだが、例えば共産主義の脅威をマッカーサーに伝えようとした手紙に対して「GHQは高度なスパイ網を共産主義者のグループに対して張り巡らせていたのでその行動をかなり正確に把握しており、この手の情報は必要なかった」と述べている。この引用部分だけでは正確にニュアンスが伝わらないとは思うが、「そんなことは当然のように知っていたんだよ。賢しらな忠告をするな」というトーンが文章の周囲には満ち満ちている。私には正確なことはわからないが、普通に考えてGHQによるスパイ網を一般の人が果たしてどれだけ知っていたのか疑問である。でなければ、共産主義者のグループにもそうは入りこめまい。であるならば、その手紙の主もまたGHQのスパイ網の動きや共産主義グループの状況をどれほど把握していたか知らなかったと推測される。そう考えると、手紙の送り主なりの状況把握を、当時認識不可能だったスパイ網という現在の(おそらく)「学会の常識」から切り捨てるのは、あまりにも不当な行為と言えよう。


このような具合で著者の分析には非常に問題が多い。それが、折角の史料の魅力を半減させているとさえ言えるだろう。唯一の救いは、ジョン・ダワーによる解説がその史料分析という欠点をかなり補っているところだろう。表層的な分析から民族の特性まで飛躍する著者と違い、ダワーは各々の手紙に表れている混沌をステレオタイプな日本人観に埋没しないよう気をつけつつ慎重に分析していく大切さを、解説という短い分量の中でうまく提示している。もしこの本の著者がダワーだったらよかったのに、と私は思わずにはいられなかった。



(結論)
著者の偏った見方に騙されなければ色々な意味でおもしろい、是非読んでみるべき一冊である。ただ実際に読む場合は、解説から入ることをおすすめする。以上。

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