特に日本の近代以降において、ミッドウェー海戦ほど取り上げられてきた戦いはないのではないかと思う。それはおそらく、戦場はもちろん戦争全体において、「戦局の逆転」という劇的でわかりやすい展開が詰まっているからだろう。
しかしながら、巷間語られるミッドウェー海戦の像が実は様々な虚妄に包まれていることは、それほど広くは知られていないかもしれない。この動画では、単に実情を丁寧に描写するだけでなく、その虚像(カバーストーリー)がいかにして形成されたのかも子細に説明したものとして大変興味深い(証言者たちのその「かばい合い」的性質、あるいはその中でも非常に厳しく批判的な目で評価・証言しいていた人の肖像については、動画でも紹介されている『帝国軍人 公文書・私文書・オーラルヒストリーからみる』が読みやすい上に大変参考になる。また動画で紹介されていない比較的新し目の著作としては、『日本海軍はなぜ過ったかー海軍反省会400時間の証言より』なども海軍証言者たちの空気感やそれらから当時の状況を再構成していく上で聞き手がどのようなことを考えていたかを知る上で有益だろう)。
この内容を踏まえると、いわゆる「回顧録」なるものの史料的危うさ(本人が言っているのを目の前で聞いたから信用できる、というのはありがちな思い込み)、あるいは史料を残さないことが後世の教訓という点でいかに害悪となるかなど(どこぞの省庁サマはシュレッダー処理なされているとも聞くが)様々なことが思い浮かべられるが、何より最も興味を引くのは、こういった「実態の検証に対する不誠実な態度」が、ミッドウェー海戦の隠蔽に根差すだけでなく、その敗戦の大きな要因ともなった点である。
動画でも触れられているミッドウェー海戦1か月前の珊瑚海海戦は、空母同士がお互いを視認しない状態での戦いという日米とも初めての体験であった。そこで見られたことは、悪天候も含めた索敵の困難さなどにより生じた濃厚な「戦場の霧」と呼ぶべきものであり、この「戦場の霧」に対する日米の取り組みの違いが、最終的にミッドウェー海戦の明暗を分けることとなった。
すなわち、日本軍はそれへの対応を「自分たちより劣ったグループの拙劣な戦術的失敗により生じたもの」とみなし、つまりは現場がより優れてさえいれば、そんなものはそもそも霧とさえなりえない、と判断した(そして戦場の霧を経験した第五艦隊の人間たちは、新たな戦場に参加しなかった)。一方で米軍は、キングのように感情的で偏った見方をする上官もいたが、冷静に情勢分析を行い現場の対応を正しく評価したニミッツがおり、そして海戦の経験を活かした状態でミッドウェーに参加したフレッチャーらの存在があった。
こういう戦訓的な活用にそもそも違いがあった上、さらに暗号解読とレーダー・無線の性能差に加え、戦略目標が露見していたことにより米軍は戦力集中をしていたのに対し、日本軍は戦力を分散してそもそも数的不利にも置かれていたのであれば、むしろ戦闘が始まる前から負けない方が不思議な戦いだったとさえ言える。
喩えて言うなら、片や濃霧の中を手探り状態なのに対し、片やうすもや程度の状態で前者よりも多い数で戦ったのだから(動画にもあるように、ミッドウェー海戦が始まった段階で良くても相討ち、悪ければヨークタウンすら沈められない日本のより一方的な敗北に終わっていたのであり、むしろ多少なりとも日本軍が打撃を与えられたのは、米軍の稚拙な雷撃隊運用など戦術レベルでのミスによるところが大きい)。
ここからわかるのは、戦訓の重要性、言い換えれば「失敗学の欠落こそ最も唾棄すべきものである」ということに他ならない。そして戦後においてもなお、長らくその戦略的失敗→必然的な敗北という実情が隠蔽されたまま、「戦術的失敗による惜敗(運命の五分間!)」というカバーストーリーが作られ、今なおそれがある程度の説得力を持ち続けてしまっている状況というのは、日本という国があの大戦の敗北を単に自分たちを悪だとして「反省」すれば解決するものだと思い込み(鬼畜米英→アメリカさんありがとう!)、無責任体制など様々な場面で見られた組織的・構造的拙劣さこそが、実は最も乗り越えられるべき問題点だとついに理解も実践もできなかった現状と、少なくとも私にはオーバーラップするのである(その意味で言えば、敗北がほぼ決した状況で、勝算もないのに積極性を失っていない「フリ」をしていた南雲たちの姿は、被害を最小化して次に繋げる合理性よりもむしろ、面子を失わないためその場での体面を優先するという点で、今日の企業でもしばしば見られる現象ではないだろうか。とはいえ、この動画の素晴らしい点は、こういったミスや欠陥について、米軍に関しても批判的に評価し、詳述しているところにある)。
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