この前久しぶりに職場の後輩三人と白木屋で飲んだ。
仕事の話はそこそこに、最近おもしろかった映画や漫画の話をしたので、その内容を簡単に書いておく。ちなみに、エヴァンゲリオンのTV版と劇場版(“DEATH&REBIRTH”、“Air”、「まごころを、君に」)以外はすべて筆者未見である。
〇エヴァンゲリオン
映画版だったかTV版かは忘れたが、最近エヴァを見たらしいS君が、色々な要素が盛り込まれているみたいだから設定についてあれこれ調べてみたいというような事を言っていた。俺は即座に一言。「それは無意味だ」。東浩紀などを含め様々な人が指摘していることだが、アニメやSFに詳しい人から見ればあれはパッチワークにすぎない。ゆえに、パッチワークの仕方(演出技法)に注目するならともかく、ピース(素材)そのものに注目してもしょうがない。
これは「アニメはくだらない」とか「サブカルはくだらない」といった話じゃない。また厳密さなど全くどうでもいいという話でもない(厳密でなければならない、というようなそれを前提として評価する態度には首を傾げるが)。様々なものに興味を持つフック(きっかけ)としてなら使えるし、そのパッチワークに人がどう反応したかを分析するのは非常におもしろいと思う。このようなアプローチはまた、三国志演義や時代劇の忠臣蔵を、史実か否か、あるいはどれくらい正確かという視点よりもむしろ、そのように語られる背景やそれが人々に与えた影響を考える姿勢に通底する。もう少し抽象化・一般化すれば、「真ー偽の二元論を超えて」になるし、別の観点では「日本人の『無宗教』に関する覚書」などになる。
〇ヘタリア
同じくS君の話だが、彼の友人に設定が何気にしっかりしてるからと見てみろと「ヘタリア」を勧められ、映画館に見に行ったとのこと。しかし、十分で寝るか耐えるか迷ったらしい(しかも映画館の周りのギャラリーがえらいうるさかったんだと)。そりゃそーだ。仮にもイギリス近現代のナショナリズムを専門にしてる君が見て得るものなんてないよ。まあエウ゛ァと同じでどんな風に史実が加工されるのか、という視点で見た方がよほどおもしろいだろう。
これは別にアニメをバカにするということではなく、(虚構に)適切な距離感を持つということだし、またそういう視点で見ることは、ナショナリズムなどのイデオロギーを単なる虚構として処理するのではなく、そういった思想・言説がなぜリアリティを持つのか、というアプローチにも繋がってくる。つまり、アンダーソンの言う「想像の共同体」をただ「想像だから無意味だ」として思考停止するか、それとも「そのような想像がなぜかくも一般化したのか。その合理性・非合理性は何なのか」を考えるか、ということ。
これは例えば俺のよく言う「風景の狂気」にも繋がる。人は往々にして「自分は絶対自殺しない」などと言ったりするが、要するにそのような狂った思考・行動は全く別の論理で動いていて、ゆえに自分には全く関係ないと考えているわけである(念のため断わっときますが、今この場で自殺したいって言われたらそりゃドン引きしますよw)。俺にしてみれば、そういう態度こそ疑わしいものだ。なぜなら、自分には絶対に降りかからないと思っていて、そのメカニズムに対していかにも無防備であり、いざ同じ状況に置かれれば、容易に同じ行動にハマり込むことが予想されるからだ。え、そんな状況には陥らないって?そういう偶然性に対する警戒心のなさを傲慢っていうと思うんだけどな~。まあこういう思考様式が、「自分が被害者側になることはあっても加害者側になることは決してないから監視マンセー」という(短絡的な)態度を生み出すのかと思ったりする。ちなみに、そのような想像力のなさへの警鐘として「共感」が重要だと言われたりするが、今見てきたような思考様式(「狂気」を風景化する)によほど自覚的でない限り、理解できないものへの敵愾心を煽り、排除のロジックに強度を与えるだけになるんじゃないかと思う。
〇すんドめ
こっちはI君からの話。何でもオナニー大好きな主人公が一目ぼれした女子高生にオナ禁されるなどして翻弄されるお話らしい。隠れてオナンに励んでもなぜかバレるようになっているのだとか。まあここで酒が入っていた俺は「じゃあドライならいいのかねw」と剛速球でデッドボールを投げてしまったが、あまりに速すぎてむしろそれが球だったことすら認識されなかった模様。まあそんなことはどーでもよくて(笑)、I君によるとその女子高生は実は病気で最後は…とのことらしい。なんか普通に急転直下みたいに言ってるけど、おいおいちょっと待てよ。そんなもんドタバタ劇を終わらせるための常套手段じゃん。簡単に言えば二つ選択肢があって、終わらない日常が続きますよ~てなのと強引にオチをつけるふたパターンがあるわけよ(で、前者のようなやり口を批評的に描いたのが「うる☆やつら」のビューティフルドリーマーなわけだ)。今回は後者で、つまり話をまとめるため笑いからシリアスへ持っていったわけだ。最初は小悪魔的な振舞いとともに「ありえね~」というズレによる笑いで引っ張り、実はズレていると思っていたもの(表層)が必然的なものだったとする(深層)ギャップでシリアスさを強調すると。アホに見せかけて実は色々気を遣ってるとか、単なるネタと見せかけて実は本気だったとか使い古された手法じゃけーのー。エロがらみでは、もったいぶってるとかじゃなくて実は身体的な理由が…っちゅーのは昔読んでた「Bバージン」のヒロインとかがそうだったので別に何の新鮮味もないわな。まあギャップの演出という点では参考になるね。あと、病名が具体的に出ないのは病気であること(環境要因)が重要であって中身に何の意味もないからだ。これは「終末の過ごし方」と同じ。
〇THE WAVE
S君からすすめられた映画。 「ナチズムを信奉した奴らなんてイカレポンチの集団だろw」というダラズどもに送る哀歌w戦前の日本も含め、そういうものを対岸の火事と思いがちなわけだが、メカニズムを把握することなしに改善や回避などできようはずもない(ネトゲ廃人とかね)。もしそれが可能だと思うのなら、それはただ臭いものに蓋をしているだけだ……とまあそういうわけで、今度見る予定。
ずいぶん前に書いた「サドマゾ」の背景にあるのは、このような視点である。ちなみにこれと「アドホッカー西へ」などの気まぐれな旅行を組み合わせると、また別の傾向が見いだせるのだが、それはまた別の機会に。
仕事の話はそこそこに、最近おもしろかった映画や漫画の話をしたので、その内容を簡単に書いておく。ちなみに、エヴァンゲリオンのTV版と劇場版(“DEATH&REBIRTH”、“Air”、「まごころを、君に」)以外はすべて筆者未見である。
〇エヴァンゲリオン
映画版だったかTV版かは忘れたが、最近エヴァを見たらしいS君が、色々な要素が盛り込まれているみたいだから設定についてあれこれ調べてみたいというような事を言っていた。俺は即座に一言。「それは無意味だ」。東浩紀などを含め様々な人が指摘していることだが、アニメやSFに詳しい人から見ればあれはパッチワークにすぎない。ゆえに、パッチワークの仕方(演出技法)に注目するならともかく、ピース(素材)そのものに注目してもしょうがない。
これは「アニメはくだらない」とか「サブカルはくだらない」といった話じゃない。また厳密さなど全くどうでもいいという話でもない(厳密でなければならない、というようなそれを前提として評価する態度には首を傾げるが)。様々なものに興味を持つフック(きっかけ)としてなら使えるし、そのパッチワークに人がどう反応したかを分析するのは非常におもしろいと思う。このようなアプローチはまた、三国志演義や時代劇の忠臣蔵を、史実か否か、あるいはどれくらい正確かという視点よりもむしろ、そのように語られる背景やそれが人々に与えた影響を考える姿勢に通底する。もう少し抽象化・一般化すれば、「真ー偽の二元論を超えて」になるし、別の観点では「日本人の『無宗教』に関する覚書」などになる。
〇ヘタリア
同じくS君の話だが、彼の友人に設定が何気にしっかりしてるからと見てみろと「ヘタリア」を勧められ、映画館に見に行ったとのこと。しかし、十分で寝るか耐えるか迷ったらしい(しかも映画館の周りのギャラリーがえらいうるさかったんだと)。そりゃそーだ。仮にもイギリス近現代のナショナリズムを専門にしてる君が見て得るものなんてないよ。まあエウ゛ァと同じでどんな風に史実が加工されるのか、という視点で見た方がよほどおもしろいだろう。
これは別にアニメをバカにするということではなく、(虚構に)適切な距離感を持つということだし、またそういう視点で見ることは、ナショナリズムなどのイデオロギーを単なる虚構として処理するのではなく、そういった思想・言説がなぜリアリティを持つのか、というアプローチにも繋がってくる。つまり、アンダーソンの言う「想像の共同体」をただ「想像だから無意味だ」として思考停止するか、それとも「そのような想像がなぜかくも一般化したのか。その合理性・非合理性は何なのか」を考えるか、ということ。
これは例えば俺のよく言う「風景の狂気」にも繋がる。人は往々にして「自分は絶対自殺しない」などと言ったりするが、要するにそのような狂った思考・行動は全く別の論理で動いていて、ゆえに自分には全く関係ないと考えているわけである(念のため断わっときますが、今この場で自殺したいって言われたらそりゃドン引きしますよw)。俺にしてみれば、そういう態度こそ疑わしいものだ。なぜなら、自分には絶対に降りかからないと思っていて、そのメカニズムに対していかにも無防備であり、いざ同じ状況に置かれれば、容易に同じ行動にハマり込むことが予想されるからだ。え、そんな状況には陥らないって?そういう偶然性に対する警戒心のなさを傲慢っていうと思うんだけどな~。まあこういう思考様式が、「自分が被害者側になることはあっても加害者側になることは決してないから監視マンセー」という(短絡的な)態度を生み出すのかと思ったりする。ちなみに、そのような想像力のなさへの警鐘として「共感」が重要だと言われたりするが、今見てきたような思考様式(「狂気」を風景化する)によほど自覚的でない限り、理解できないものへの敵愾心を煽り、排除のロジックに強度を与えるだけになるんじゃないかと思う。
〇すんドめ
こっちはI君からの話。何でもオナニー大好きな主人公が一目ぼれした女子高生にオナ禁されるなどして翻弄されるお話らしい。隠れてオナンに励んでもなぜかバレるようになっているのだとか。まあここで酒が入っていた俺は「じゃあドライならいいのかねw」と剛速球でデッドボールを投げてしまったが、あまりに速すぎてむしろそれが球だったことすら認識されなかった模様。まあそんなことはどーでもよくて(笑)、I君によるとその女子高生は実は病気で最後は…とのことらしい。なんか普通に急転直下みたいに言ってるけど、おいおいちょっと待てよ。そんなもんドタバタ劇を終わらせるための常套手段じゃん。簡単に言えば二つ選択肢があって、終わらない日常が続きますよ~てなのと強引にオチをつけるふたパターンがあるわけよ(で、前者のようなやり口を批評的に描いたのが「うる☆やつら」のビューティフルドリーマーなわけだ)。今回は後者で、つまり話をまとめるため笑いからシリアスへ持っていったわけだ。最初は小悪魔的な振舞いとともに「ありえね~」というズレによる笑いで引っ張り、実はズレていると思っていたもの(表層)が必然的なものだったとする(深層)ギャップでシリアスさを強調すると。アホに見せかけて実は色々気を遣ってるとか、単なるネタと見せかけて実は本気だったとか使い古された手法じゃけーのー。エロがらみでは、もったいぶってるとかじゃなくて実は身体的な理由が…っちゅーのは昔読んでた「Bバージン」のヒロインとかがそうだったので別に何の新鮮味もないわな。まあギャップの演出という点では参考になるね。あと、病名が具体的に出ないのは病気であること(環境要因)が重要であって中身に何の意味もないからだ。これは「終末の過ごし方」と同じ。
〇THE WAVE
S君からすすめられた映画。 「ナチズムを信奉した奴らなんてイカレポンチの集団だろw」というダラズどもに送る哀歌w戦前の日本も含め、そういうものを対岸の火事と思いがちなわけだが、メカニズムを把握することなしに改善や回避などできようはずもない(ネトゲ廃人とかね)。もしそれが可能だと思うのなら、それはただ臭いものに蓋をしているだけだ……とまあそういうわけで、今度見る予定。
ずいぶん前に書いた「サドマゾ」の背景にあるのは、このような視点である。ちなみにこれと「アドホッカー西へ」などの気まぐれな旅行を組み合わせると、また別の傾向が見いだせるのだが、それはまた別の機会に。
すげー!かっけー!!庵野どうしてこうなった!!
序・破、併せて7回劇場でみた俺が言うんだから間違いないwww
あとマリが可愛くて生きるのが辛い(cv坂本真綾)
もちろん見る人が見るとわかるパクリオマージュリスペクトのオンパレードだけどw
>もちろん見る人が見るとわかるパクリオマージュリスペクトのオンパレードだけどw
ん~、俺が言ってるのって「元々それはそういうものなんだから、厳密さとかオリジナリティとか求めちゃダメよ」って話なんだがなあw逆に言えばそれは、「『パクリオマージュリスペクトのオンパレード』だからダメだ」というような見方の批判になると思うんだけど。
>何も考えずに見れる
俺はそういう話に対して、「本当に何も考えてないのかねえ」と同時に「仮に何も考えてないとしたら一体何に反応してるんやろか」と疑問を持つ質でね。まあ別に「深層」と言われるようなものがあろうとなかろうとどうでもいいんだけど、仕掛けには興味が湧くね。人は何にも縛られずに(考えずに)ただ感情に身を任せていることを自由だと思ったりするが、それってマックの椅子の構造を知らず「自分は自由な意思でさっさと席を立った」と考えて疑わないのと同じだからな。
>というような見方の批判になると思うんだけど。
>本当に何も考えてないのかねえ
いや考えてるwそして俺は物事を深く考えないw大人として恥ずかしい><最後の一文は蛇足だったね。
なんにせよ新劇場版は見ろってこった。まぁ完結してからのほうが良いかもしれんけど、このペースだと終わるのが2015年になってしまいそうw
>いや考えてるwそして俺は物事を深く考えないw大人として恥ずかしい><最後の一文は蛇足だったね。
まあそういう文を書きたくなる気持ちはわかるけどね。実際それを理由にくだらんと評価する人は、それなりにはいるだろうし。
>なんにせよ新劇場版は見ろってこった。
そいつはちょっと厳しいな。なにせ全く食指が動かないので(苦笑)まあ今はゴルゴ13の劇場版とか見たいものがあるんで、それらが終わって暇になったらだね。