それが「論理的」なのは、あなたの国でだけだ:過去を範型とするイランのスキーマは何に由来するのか?

2024-11-17 11:53:46 | 歴史系
 
 
 
 
前に「なぜ同じ現代日本語同士なのに話が全く通じないのか?」というお題でバイアスやスキーマに触れたが、こちらの動画では同じ言語同士ではなく、国によって教えられる「論理」の型がそもそも異なるという研究が紹介されている。
 
 
なお、ここで「論理」とカッコ付きにしたのは、ここでの動画を見る限り、内容的には「理想とされる論証法・弁論術」と呼ぶ方がより適切だと感じたからである(この点、原著はまだ読めていないので、あくまで動画からの印象だが)。まあもちろん相手を説得するには「話の筋が通っている」と納得してもらう必要があるわけで、その意味では論理性というのも評価軸の一つだとは思うし、その意味で理想的な論理展開のあり方が国によって違うという意味で、教示される「論理」のタイプが国により違う、というのもわからんではないが。
 
 
ともあれ、このように「あくまで型の問題」として一歩引いてみると、動画でも言及されているように、どれかが常に望ましい訳ではなく、場面によって有効性は異なるし、それに基づいて柔軟に使い分けてよい、というぐらいのスタンスが望ましいと思う(これは前回記事の動画で触れられていたアリストテレスの言、すなわち論理が日常で使われている場面などせいぜい1~2割程度だ、という話が参考になるだろう)。
 
 
なお、こうした相対化の視点に立った上で一つ興味深い視点は、「なぜそのような型が理想とされるに到ったのか?」という歴史的・文化的背景を探ることだろう。それは即ち他者理解を深める契機になるとともに、「あくまで一定の文脈での有効性」という戒めにも繋がると思うからだ。というわけで、動画で言及されていたイラン、アメリカ、フランス、日本各国について私見を述べてみたいのだが、ここでは動画でほとんど深堀りされていないイランについて特に書いておこうと思う(ただし、本当は教育史の知見が必要なので、ここでの説明はあくまで当該国の思想史を踏まえた簡単な蓋然性や印象の話である点はあらかじめ注意を喚起しておきたい。特にイランは、1979年にイラン革命が生じてイスラーム色の強いホメイニ政権が成立したこともあって、欧米化が進み飲酒なども日常的に行われていた前パフレヴィー朝とは大きく変化した可能性が大である)。
 
 
さて、イランについては、動画内で以下のような点が挙げられている。
 
1:過去に理想を求める
2:人間の脆弱性という観点から人間の行動=歴史の詳細などにはさして関心が払われない
3:適切な詩を引用できるかがレトリック上重要とみなされる
 
これに関し、おそらく3は別の背景から来るものであるため、1と2の背景について考えてみると、まず最初にイスラーム知識人=ウラマーの役割を考慮することが極めて重要だろう。というのも、一般的に「知識人」と聞くと単に「色々な教養を持っている人たち」ぐらいの認識になるだろうが、イスラーム世界の場合はキリスト教と異なり聖職者というものが存在しないため、彼らが実質的にその役割を担ってきたという歴史的側面がある(つまり宗教的素養・宗教的役割が非常に重要であるという話)。
 
 
そしてイスラームではシャリーアと呼ばれるイスラーム法(後述)が有名だが、こちらは礼拝の作法や信仰のあり方(六信五行)といったわかりやすい宗教面のみならず、様々な社会規範も包含するものとなっており、その知識を持つウラマーは様々な場面でそれを披露・共有することを期待されてもいる存在なのだ(ちなみにシャリーアのみで全ての領域をカバーするのは難しいため、「カーヌーン」と呼ばれる民法や「ウルフ」などと呼ばれる慣習法なども存在する)。
 
 
よって例えば、彼らがモスクで行われる金曜礼拝においてフトバ(説教)を担うことも多く、そこではシャリーアの教えを信徒に提示したり、あるいは昨今の情勢を踏まえてイスラームの教えに基づいた意見を述べることも少なくない(こう聞くと、カトリックの神父や牧師と類似点があるとよりよく理解されるだろう)。
 
 
そしてもう1点重要なのは、イスラームの発想法的に、理想社会は開祖ムハンマドがマディーナ(メディナ)に作った共同体=ウンマに現出していた、と考える点だ。これが典型的に表れているのは、先述したイスラーム法の根拠=法源であり、これは聖典『クルアーン』の他、ムハンマドたちの言行録(スンナ)を集積した『ハディース』、共同体成員の合意を示す「イジュマー」、それらから成り立つ規範からの類推「キヤース」という4つの柱で成り立っている(最後のキヤースは、極めてざっくり言うと、例えば古くに成立したイスラーム法には当然「ストロングゼロ」への言及はないが、アルコール類は禁止となっているため、当然ストゼロもアウト、というようなものである)。
 
 
ことほどさように、繰り返しになるが、過去に理想郷が現出しており、それを元に規範が形成されているわけで、例えばアラビア半島で生じたワッハーブ運動をイスラーム「復古」運動とも呼ぶのは、こうした事情がある(その点、運動のマインドはキリスト教とは違う発想から成り立っており、時にいわれる「イスラーム原理主義」なるものは、キリスト教のそれをイスラームへ無批判に適応した問題のあるカテゴライズと言える)。
 
 
さて、長々述べてきたが、今書いたことを元にすれば、ウラマーには(それが全てではないにしても)過去を理想とする宗教的知識が求められ、それを範型として現在の判断材料を適切に人々へ提示・共有する能力である、と言えるだろう(ちなみにこれを法律面で特化した存在がイスラーム法裁判官=カーディーであり、彼らはシャリーアに基づきながらファトワーと呼ばれる法判断を提示する。彼らの言説が19世紀のタバコボイコット運動などにも大きな影響を与えている点で、社会的インパクトを持っていることに注意を喚起したい)。
 
 
ここまで述べてくれば、先述した論理構成において「1:過去に理想を求める」が重視されるのは何ら不思議なことではないと言えるだろう。とはいえ「2:人間の脆弱性という観点から人間の行動=歴史の詳細などにはさして関心が払われない」の説明にはなっていないと感じるかもしれないが、これは深く1と連動している。
 
 
というのも、セム的一神教のように全知全能の唯一神を措定する宗教において典型的だが、そこには「人間の必謬性」という発想が根幹にある。つまり、人間というのは神に作られたに過ぎない誤つ存在であるからこそ、神の教えにすがるというスタンス(これをアラビア語では「タワックル」と呼ぶ)に立つのである(「神→天使→予言者→聖典」の伝承系統や来世などを信じる「六信」はその好例と言える)。ちなみに文学作品で言うと、『カラマーゾフの兄弟』における裁判のシーンと、そこで示される人間の理性的判断の限界をその典型例として挙げることができるだろう(そしてこういう作品のスタンスから行けば、イワンがあのような最期を迎えざるをえなかった必然性も理解できる)。
 
 
そしてかかる世界理解に基づくならば、人間が現在の情勢を見て行う論理的判断というものには間違えがつきものなので、アッラーの教えやそれを記したクルアーン、またはその教えを体現した始祖ムハンマドとその周辺者の言行が、自らの思想や行動の是非を判断するため常に参照されるべきだ、というスタンスが奨励されるのはある種の必然と言えるだろう。
 
 
というわけで、1と2の背景に関する説明は以上である。念のため言っておくが、今私はイラン社会における「スキーマ」とその背景を説明したけれども、それはこの発想法こそが正しいという話ではないし、またイランに住まうあらゆる人間が同じ世界観を共有しているという話でもない(この辺りは研究書よりも『ペルセポリス』のような文学作品を読んだ方が理解しやすいかもしれない)。
 
 
さらに言えば、今の説明のみ聞くと、遠い世界の話に思えるかもしれないが、例えば過去に範型を求めるスキーマとしては日本における鎌倉幕府などのいささか執拗なほどの前例踏襲主義、あるいは日本近代司法の判例主義などを思い起こすことが可能であろう(これらにはこれらの独自の背景があると思われるが、さすがにそちらを掘り下げる余裕はないので、今回は割愛する)。
 
 
あるいは日本に限定しなくても、人間の必謬性、言い換えれば人間理性の限界を戒めとするのは、フランス革命を経て発生したバーク的な保守主義も同様である。ただし、保守主義は人間理性の代わりに「神」を参照するのではなく、人間がこれまで培ってきた歴史的営みを重視し、そこを準拠枠にした漸進主義を採る点で、イラン社会のスキーマとは大きく異なるのであるが。
 
 
というわけで今回は以上。
他の地域の世界観(スキーマ・コスモロジー)がどのように構成されているのかを深く知ることは、自らを振り返ることや、他のスキーマを客体化・相対化して理解するのにも有益である、と述べつつこの稿を終えたい。

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