ウクライナ侵攻と終戦論:あるいは毒親への無理解について

2022-05-09 13:30:00 | 日記




ウクライナ侵攻に際して、「ウクライナは早く降伏すればいいのに」という無責任にも程がある発言を時折見かけたが、終戦の落としどころはそれほど単純なものではない(戦争状態を続けるより、今停戦した方が良くなるという根拠は?)。


それはこの動画にあるようなケーススタディと、あるいは旧東側諸国が経験してきた(さらに言えば、プーチン政権の所業としてチェチェンやシリアなどで観察された)様々な所業からすれば、むしろ反証が多数あることに気づけるはずだ。それを調べる(エビデンスを集める)こともなしに、先のような発言をしているのであれば、不見識の極みとして批判されるのも当然であろう(なお、こういった言説の背景には、「戦争=絶対悪→なるだけ早く終わらせたい→一番早いのはウクライナが降伏すること」というある種の生理的嫌悪感に基づいた思考停止があるように思われる)。


なお、私がウクライナ侵攻とそれに対するこのような言説を見て思い出したのは、毒親という存在とその対処法への無理解である。


毒親とは、端的に言えば暴言や暴力をはじめ有形無形の過干渉によって、その子供を自らの支配下に置こうとする存在である。そういう人々は、「あなたのためだ」と言いながら自己を正当化するのだが、その実はコントロール欲(やそれが満たされないことへの苛立ち)の発露と言ってよい。


こうして子供の尊厳を破壊していき、最終的には肉体的・精神的に子供を殺害する存在な訳だが、少なくない数の人が、「それでも親なんだから(他人よりはあなたにとって良い人のはず)」とか、「衣食住が保証されているだけでもマシ」という幻想を抱き、それゆえ親元に戻るとか、親を赦すことを最善と考えてしまう。


要するにこれは、親あるいは親子関係についての多様な在り方に無知であるため、与えられたイデオロギー的理解や矮小な自己の経験のみで判断・発言してしまう、という状況に他ならない(親から日常的に人格否定され続けたり、腐った食事が出される状況など思いもよらないのだろう)。


以上要するに、毒親をロシア、子供をウクライナ、毒親に無理解な人間を短絡的な降伏論者に見えてくるというわけである(なお、最後のカテゴリーの人々はホロモドールやハンガリー動乱、シベリア抑留、アンディジャン蜂起と弾圧などに対する歴史的無知もあるだろうが、あるいは長いものには巻かれよ的発想や、アメリカの支配で日本は酷い目に遭うどころかむしろ良くなったという感覚が横たわっているのかもしれない)。


そしてまた、前世紀的な今回の戦争とそれに対する日本人の諸々の言説を見て、そこから照射される日本人の戦争観や平和観をあぶり出して分析することが、今後の世論形成などを考える上でも有益だと感じた次第である。以上。


【冒頭動画の完全版】



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