前回の記事を書いていて、誰の言葉かは忘れてしまったが「戦争賛成のファシズムの後には戦争反対のファシズムが吹き荒れる」という名言があったのを思い出した。生理的嫌悪感にのみによった反戦思想は、所詮「戦争反対のファシズム」の域を出ることはないだろう。状況の変化を認識しない意見は、すべからく虚しいものである。
戦争を回避しようとする行為も、英・仏がナチスに対して融和策を採ったことが二次大戦へと繋がったように逆効果になることもある。戦争に対して怯え続けたり及び腰になることが戦争を防ぐわけではないのだ。必要とされるのは、状況への柔軟な認識と思考であって、戦争の悲惨さを叫び続けることではない。
そもそも、何も無いところに「恒久平和」が存在するといった考えは、まったくの妄想でしかない。実際のところは、膨大な駆け引きやパワーバランスによって均衡が守られているというのが現実だ。前回述べたのは、その駆け引きやパワーバランスにおいて不可欠な「軍」という要素を欠いている日本は、その埋め合わせをどうしているのか、またどのようにしていくのかという認識・思考が重要であるということだった。
同様に、いかなる国とも仲良くできるという考えは幻想に過ぎない。そこには利害の対立と調整が常に続けられているのだ。その中では軍事力を背景にした「脅し」も有効で、ゆえに実際使用されている(特に有名なのはアメリカなわけだが)。その「脅し」を使うことも使われることも、外交においては常識。その中で「脅し」の材料も「脅し」への有効な対応策も持たない日本はどうするのか?他国をより疑心暗鬼にさせる「バラ撒き」外交を、今度は意識的に始めでもするつもりか?(「下手糞外交地獄逝」を参照)
繰り返しになるが、本当に戦争を(全力で)止めようと思うなら、そこまで考えて意見を出すべきである。
(最後に一言)
戦争反対者の声が届かない中で、戦争賛成者が「その戦争をする利益は無い」と言って戦争が防がれるならば、後者の主張の方がずっと価値あるものである。
戦争を回避しようとする行為も、英・仏がナチスに対して融和策を採ったことが二次大戦へと繋がったように逆効果になることもある。戦争に対して怯え続けたり及び腰になることが戦争を防ぐわけではないのだ。必要とされるのは、状況への柔軟な認識と思考であって、戦争の悲惨さを叫び続けることではない。
そもそも、何も無いところに「恒久平和」が存在するといった考えは、まったくの妄想でしかない。実際のところは、膨大な駆け引きやパワーバランスによって均衡が守られているというのが現実だ。前回述べたのは、その駆け引きやパワーバランスにおいて不可欠な「軍」という要素を欠いている日本は、その埋め合わせをどうしているのか、またどのようにしていくのかという認識・思考が重要であるということだった。
同様に、いかなる国とも仲良くできるという考えは幻想に過ぎない。そこには利害の対立と調整が常に続けられているのだ。その中では軍事力を背景にした「脅し」も有効で、ゆえに実際使用されている(特に有名なのはアメリカなわけだが)。その「脅し」を使うことも使われることも、外交においては常識。その中で「脅し」の材料も「脅し」への有効な対応策も持たない日本はどうするのか?他国をより疑心暗鬼にさせる「バラ撒き」外交を、今度は意識的に始めでもするつもりか?(「下手糞外交地獄逝」を参照)
繰り返しになるが、本当に戦争を(全力で)止めようと思うなら、そこまで考えて意見を出すべきである。
(最後に一言)
戦争反対者の声が届かない中で、戦争賛成者が「その戦争をする利益は無い」と言って戦争が防がれるならば、後者の主張の方がずっと価値あるものである。
彼等を支えているのは、自らが黙示録の四騎士であるという妄想だよ。
しかし、その「正義」は獣の掲げるものにすぎないと思う。