犯罪率について:国民性という根拠に対して

2006-07-03 23:08:18 | 抽象的話題
私は犯罪関係の知識がそれほどあるわけではない。しかし犯罪率の根拠などについては疑問があるので、あえて書いてみることにする。


日本の安全神話が崩壊したと言われている。しかし他国との比較をしてみると日本の犯罪率は相変わらず非常に低い状態を保ち続けているのであって、要するに一時代の感覚でしかものを見れない人たちが状況の変化に過敏に反応している、というのが実態であると思われる(例えば、経済状況に関してバブル時代を基準にするのが全く馬鹿げた行為であるという見方について、異論のある人はほとんどいないだろう)。安全への意識が昔のままでいいと言うつもりは毛頭ないが、誤った基準の立て方は個人的・社会的なストレスを増大させるだけだろう。


もちろん、貧困などではなくただその場のちょっとした気分での犯行という「脈絡のなさ」などは、特に中高年の人にとって大きな疑問・衝撃であることは容易に予想される。しかしそれでも、実態についての正確な把握がまず必要であるように思うのである。


さてそこで思うのだが、犯罪率の多寡を分析するさい国民性の話を持ち出すのは一見わかりやすいけれど、(むしろそれゆえ)非常に危なっかしいのではないだろうか。なるほどそういった分析の仕方が一つの試金石として重要だとは思う。しかし、私の見る限りで現代の犯罪率は念頭にあっても、近代以降の犯罪史という長いスパンが視野に入っていないものが多く、それでは片手落ちではないのか。例えばもし日本人の国民性にがあるとするなら、戦前はどうだったのだろうか?経済状況など違いがあるにせよ、国民性というレベルで説明するのなら、その時代にも何らかの特徴が表れなければおかしいではないか。


それとも、戦後以降にそういった「国民性」が突然開花したのだろうか?もしそのように考えているのだとすれば、その議論はあまりに恣意的であると言わざるをえないだろう(それは、ただ現状を説明するために用意されたもっともらしい理由付けに過ぎない)。戦後とは、(明治~戦前とはまた違ったカタチで)日本人の意識が西洋志向へ向けて大きく変化した時代である。その時代の犯罪率の低さの理由として国民性が取り上げられているにもかかわらず、その中身は老荘などいかにも「日本伝統的」なものであることに首を傾げざるをえない。もしそういった「日本伝統的」なものがその犯罪率の低さと関係しているのだとしたら、さぞや戦前の犯罪率は低かったことだろう、と思う。


以上のような理由により、犯罪率の差異について分析するならば、より長いスパンで、具体的には(最低でも)近代以降の犯罪の性格を検討しようという姿勢が必要だと思うのである。
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