やはりランバ・ラルが至高

2023-05-31 11:23:07 | レビュー系

 

 

ゲストハウスなんかでwi-fiを使って動画を見る時、新しいものを見て何かインプットするより、すでに知っているもののまとめを見ることが多い。そして今回五島で視聴したものの一つが、ランバ・ラルの紹介動画である。

 

初代ガンダムを見たのは大学生と相当遅かったが、当時このいぶし銀オヤジがあまりに魅力的すぎて、こういう上司の元で働きてえ😍・・・なんて思ったものである(余談だが、初代で好きな女性キャラはハモン・セイラが双璧だった。まあエヴァでは綾波・アスカをガン無視でミサトさん一択やろ!と思ってた筋金入りの年上スキーなワイにとっては必然的なことかwちなみにマチルダさんは作中で持ち上げられすぎてちょっと冷めた記憶がある。ちなみに、ララァがシャアを慕う理由は全く説得力を感じなかったが、ハモンがランバ・ラルと一緒にいたのは、そりゃそーだとむしろ何の疑問もなく納得していた記憶がある)。

 

知っている人には釈迦に説法だとは思うが、アムロを若造として軽く扱わず、ちゃんとその能力も見抜いた上で見逃す様は、ランバ・ラルが歴戦の勇士だからこそ際立つし、またアムロは木馬内での境遇に嫌気が差して脱走した場面でのこの評価なので、アムロの心に響いたことも想像に難くないシーンである。

 

にもかかわらず、最終的にこの二人が殺し合わねばならないことに悲劇性があるわけだが、ここに敵の有能さを見抜き部下も掌握するカリスマ性を持つ彼が、味方の妨害行為によって戦力補充を邪魔され最終的に散っていく様は、「無能な味方は有能な敵よりも恐ろしい」という言葉を思わず想起したものだ(彼はそもそもザビ家にとっては煙たがられる存在であり、味方の無能さというより、策謀により窮状に立たされることになったわけだが、いやラル大尉ってそもそもガルマ(・ザビ)の仇討ちのためにホワイトベース攻撃を命令されたんですがそれは・・・て話である😭)。

 

こういう「争っとる場合かーーー!(ショトロハイム並感)」な時にも党派性に基づく足の引っ張り合いをやめられない描写も、実際の戦争の歴史を見るとむしろ極めてリアルである(作者が想定しているのはナチスや旧日本軍である可能性が高いが、そこに限定せずとも、呉起や李牧といった紀元前の名将から、ヴァレンシュタインや袁崇煥といった近世以降の人物まで、味方によって死に追いやられ、そのことで国家自体が大きく弱体化して戦争に敗北、場合によっては滅亡にまで到る事例は枚挙に暇がない)。

 

ちなみにランバ・ラルのような人物造形が生まれた背景はわかりやすい。つまり、シャアという目を引くライバルが一時的に後景へ退いた中、少し角度は違うが同等かそれ以上に魅力的な人物を出そうと思った時、彼のようなキャラクターが必要とされたというわけである。ただ、このような人物配置は、単に物語上の駆動を目的としたものではないと私は思う。

 

というのも、前述したジオン側の足の引っ張り合いを含め、ガンダムという作品に通底しているのは、「善VS悪」ではなく、「正義VSもう一つの正義」という描写だからである(だからそれぞれの主張に欺瞞もあるし、問題も抱えている)。このような時、小説であれば言葉で筋道を立ててそれぞれの主張を説明することも可能だが、映像作品となるとそうはいかない(間違いなく冗長になるため。まあそれを踏まえるとギレン様のアジテーションが活きてくるわけだがwこの点については、昨日書いたVtuber大浦るかこ最後の配信にも通じるものがある)。

 

だから、まずはキャラクターが「ひとかどの人物」であることを示し、単純に敵=悪と割り切れないという心情に受け手を持っていく必要があるわけで、それが「ただ有能なだけでなく、悩める主人公=敵にも理解を示す度量の深さをもった人物」=ランバ・ラルが生まれた理由だろう。

 

と色々書いてみたが、まあ細けぇこたぁいいんだよ。俺はこのオヤジが今でも好きなんだ。ま、今となっては俺の方が5歳以上年上だけどね( 。∀ ゜)それでも、こんな魅力のある人物の道は遠しって状況ですハイ。

 

てなわけで、「ランバ・ラルはやはり至高」というお話でおました。


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