生活保護に関する語り(騙り)と社会性

2021-01-30 17:20:20 | 生活
 
 
 
「生活保護受給者は社会のお荷物である」という発想は、端的に言って愚かだという話はこのブログで何度か書いてきた。なるほど様々な要因での困窮を「自己責任」と言い、「社会に迷惑をかけぬよう自助を訴える」のは一見公共性を意識した発言に見えるかもしれない。
 
 
しかし、そもそも憲法第25条に明記された「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は一体どうなったと考えているのか(ちなみに憲法は、政府を名宛人とした規定である)?あるいはこの動画でも語られる通り、困窮が広がればそれは社会不安へと繋がり治安維持コストとしてそれ以外の人間にも跳ね返ってくるが、そのリスクをどのように勘案しているのだろうか(そんな事態は生じないと思っているのであれば、全くのところ無知としか言いようがない。例えばドイツにおけるナチズムの発生原因の一つは世界恐慌による経済的困窮であったし、最近ではグローバル化による労働者階級の不安がブレグジット賛成を可決する原動力にもなったのである)?
 
 
こういった視点を加味した生活保護不要論を私は寡聞にして知らない。これがある程度実態を反映しているなら、その言説は公共のことを語っているようで全くのところ公共性を欠いている(一応言っておくと、福祉を際限なく拡充すればよいものではないことは、1970年代に起こったいわゆる「福祉国家」の行き詰まりと1980年代における新自由主義の台頭を想起したい)。もっとはっきり言えば、「働いていない人間が、タダで金をもらうのが気にくわない」という感情を公共性という名のボロ布で覆い隠しているだけなのである。
 
 
ここで、不正受給の問題を主張する人がいるかもしれない。なるほど不正受給は問題だろう。では、その不正受給とは生活保護受講者という分母全体の何%なのだろうか?私が把握している限り、それは極めて低い数値となるのだが、あるいはかなりの割合に上るという具体的なデータをお持ちなのだろうか?
 
 
もし、割合を考慮せず不正受給というワードだけで憤激し、それを生活保護全体の問題にすり替えているのなら、(意識的か無意識的かはともかく)偏った情報に踊らされているか、はたまた主張者自身が特定の方向にミスリードすることを狙っているのだと考えざるをえない。それは、交通事故が起こるからと言って自動車を全廃すべきだという議論と同じくらい暴論なのである。
 
 
そして、真に社会的問題だと考えているのであれば、生活保護そのものを否定する前に、そのシステム的な部分を自分でよく調べて考え、どこに改良すべき点があるのかを吟味してそこにフォーカスした発言をするべきだろう(生活保護そのものを叩きたいのではないと主張するのならば、ね)。それが「社会性」というものだし、公共的な態度とも言えるのである。
 
 
ちなみに、生活保護を肯定する側も、こういったロジックをもっと使っていくべきだろう。というのは、そこでただ人権だのを唱えるだけでは、反対派を説得することも黙らせることも不可能だからである。生活保護というものが社会的にどう機能してきたか、しているのかを提示し、その否定は社会的不利益を幅広く生み出しうることを説明(=生活保護を全体として否定する人間は、公共性を騙りながらその実日本を不安定化させる社会の害悪であることを示す)して初めて、その論が広がるのではないだろうか(この点は死刑制度の是非に関する議論も同じである)。

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