接客態度の悪いタクシーの運ちゃんに対し、即座にこういう対応をして相手を篭絡してしまう辺り、さすが船長(宝鐘マリン)やなという感じ。
このエピソードを聞いて自分が思い出すのは、かつて湊あくあとの会話で「人を信じすぎ」と言うあくあに対し、「そう考えた方が生きやすくなる」と答えたことだ。ここには船長のスタンス(と二人の発想法の違い)がよく表れているが、こういう思考態度を持っていたとしても、それを即座に実践できるのはさすがとしか言いようがない。
なお、船長いわく、元々は非常に引っ込み思案な性格だったらしいので、色々な人と接していくうちにこういうコミュニケーション方法を身に着けていったのだろう。つまり「ネアカ」的なものとは違うという話で、だから湊あくあのようなスタンスに対しても、「経験としてそういう方法で上手くいってきたのなら、それを無理に変えなくていい」という柔軟な態度で接することもできるのではないか(喩えとして少しアレかもしれないが、最初から勉強ができる人間はできない人間の気持ちが理解できないのに対し、努力して勉強ができるようになった人間は、できない人の躓きの要因や、そこでの心持ちを理解しやすい、というのと似ている)。
まあとはいえ、そういうコミュニケーションスタイルで人からの期待にもしっかり応えようとするからこそ、反動でメンタル的に不安定になる場面も少なくないのだと思われるのだが・・・
ところで、自分がこの船長のエピソードを見ていて思ったのは、今後の社会においては、こういう宝鐘マリン的対応(をする人・できる人)は減っていくだろうな、ということだ。すなわち、
・相手が接客業としてあるまじき言動をしているのだから、そこにわざわざ寄り添うような態度・言動をする必要はない
・そしてこちらに不利益をもたらしたこの人間には社会的制裁が必要なので、会社に通報をする
(あるいは今回のケースならSNSなどでナンバーを晒す)
という具合に、対人のコミュニケーションで上手く調整するのではなく、システムを呼び出して規範的言行から外れた人間を罰し、もって生活空間の快適さを維持しようとする態度がどんどん一般的になっていく、とでも言えようか(念のため言っていくが、こういう振る舞いこそが望ましいという話では全くなく、それが暴走した典型例がカスハラだろう。ただそちらに関しても、出禁処置など毅然とした態度を取る企業が出始めている中で、そういう規範的行動から外れた顧客も法整備など含めシステム的にパージされる方向にシフトしていくと思われる、ということだ)。
そしてその結果として、
・接客態度が悪ければ会社に連絡がいき不利益を被ることは当然である
・それを理解せず接客体緯度が悪いままの人間は性格以前に頭が悪いので、組織に不利益をもたらすのでパージされて当然である
・その状況に適応するべく、表面的にでも態度が穏やかな人間が増える(増えざるを得ない)
ということになるのではないか(これだけ書くと抽象的だが、どこぞの芸人がXで不適当な発言をしたことにより一気に仕事を失った事例を上げれば、思い半ばに過ぎるというものだろう)。
これは即ち、海外では店に入る時に挨拶をするのが一般的であるケースが多かったり(お国柄もあるが、特に地元の商店やレストラン)、笑顔を作って握手をする(別に相手が好きなのではなく社交辞令)のに似て、「相手に自らの敵意がないことを明示しないと不利益を被るため、友好的な態度を戦略的に取るようになる」という話だ。
今述べたような現象が、社会の多様化・複雑化の進展に伴う分断を背景に今後進んでいくと思われる。そしてその傾向は、AIの「進化」と人間の「劣化」、すなわち技術革新とコミュニケーションコストの上昇により、人間の志向が「予定調和のbot>ノイズだらけの他者」というベクトルを強めていく中で、さらに加速していくのではないかと思うのである。
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