まだ第23話は見ていないが、これまでの「ひぐらしのなく頃に 業」の内容からテーマを読み取るなら、「絆と呪縛」なんだろう。「絆」とは、旧ひぐらしの象徴である。そして「呪縛」とは、「ひぐらし 業」の象徴である。
旧ひぐらしでは、誰が犯人なのか誰も信じられないような中、「仲間」を信じて協力し合う中で絆を生み出し、それは雛見沢という村全体すら超えて祭囃し編という「奇跡」を起こした。
一方で「ひぐらし 業」は、その絆が己を蝕む「呪縛」となり、さらには相手を自分の思うようにコントロールするという「業」にまでなって、自他を苛み続ける世界と言えるのではないだろうか(その意味で、「ひぐらし 業」は旧ひぐらしのテーマを別の視点で継承・照射した物語だと言える)。
ちなみに、「相手をコントロールする」というのは鬼騙し編~猫騙し編で周囲の人間に暴走フラグが立たないよう行動する梨花、そして梨花を屈服させるために他人をコントロールし続けながら世界を繰り返す沙都子の両方に当てはまる要素である(結局「絆」とは、自己保身のために相手を利用する行動を体よく言い換えた表現に過ぎないのではないか?という問いかけでもあろう。こう考えると、「鬼滅の刃」の主題として繰り返し述べている「利己」と「利他」、あるいは共同体(絆)の呪縛にも深く関連するテーマと言える)。
だとするなら、郷壊し編で描かれる梨花の受験モチベーションの源泉や沙都子をそこに巻き込む理由、あるいは沙都子がそこに流されて最終的には高校で孤立する姿にいささか必然性が感じられないのも、この大きなテーマを踏まえると、理解できる部分もあると感じられる(部分部分に納得はいかないが、それに違和感を持って大きなテーマを考えてもらうことが狙いであるのなら、その意図は理解できる、という意味だ)。
すでに20話は超えているのに、(EDこそ変化したものの)OPの「I believe what you said」がずっと同じというのは、梨花視点の救済・脱出という「希望」→沙都子視点の執着・束縛という「呪い」への転換が、「あなたを信じる」という同じキーワードの上で成立していることを示しているのだろう(祭具殿から出てくる反転した手は、それを象徴しているのか?)。要するに、絆が呪縛でありうるという両義性を、このOP(の題名)とそれが変化しないことは暗に示しているのではないかと私には思えるのである。
という認識でもって、第23話を見てみることにしましょうかね・・・
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