2011/4/16
<無題>
ドライさが露呈する。てゆうか部下が困った時はお互い様。葬式という「プライベート」な空間に会社の連中が土足で上がり込むなんて虫酸が走る。まあ向こうも面子があるやろうし、見舞金を20万とかもらえるし、偏屈と言われるリスクもあるからじゃあ呼んでおくか、というレベル。それを一般化してもしょうがない。
<告別式>
先生告別式、弔辞草々たるメンツ、吉田先生、後藤先生・・・特に佐藤さんはすばらしい。モロッコ留学時、ただ「町を歩きなさい」とだけ言った。簡潔明瞭さを尊ぶ。現地の雰囲気や原典史料につぶさに触れていた先生は、大上段に振りかぶった理論の怪しさを痛感してたのだろう。人となりも実に飄々として。はじめて早稲田で話した時、小柄なことに驚いた。壁がない。ラーフェク修論、小松先生、李先生、葬式では死顔見て今にも話しだしそうな様子に愕然とすることが多い。しかし今回はあの血色のよかった先生の顔が土気色かつ口元よがんでいるのを見て厳然たる死を感じた。同期の昼食の誘いを謝し、仕事に向った
<属性>
の記事を書く理由と同じ。「真実」なんか知らない。それは交換不可能な自己の深層とは全く思っておらず、可変的なものにすぎない。ただ「それを交換不可能だと思う私」がいるだけだ。いかにして流通させるか、あるいはそれらしく語るかがあるだけだ。人は物語に飛び付きたいんだよ。ただ、背景に情念がないと続かないし見透かされるけどねwいや最近はそうでもねーかw「正しさ」や「本質」に拘泥するヘタレ
<システム>
システムの問題を人為的に解決する志向を生む。まあ誤読云々言いだすと何もできなくなる。
<とびでばいん>
4月頭になれば多少は落ち着く・・・はずだったが、部下の母親が亡くなり息つく間もない状態になっている。にしても、一昨年は脳溢血で自身が倒れ、昨年は離婚、そして今年は母親の死と不幸が続いているので、精神や肉体がもつだろうか。先日家を出て音信不通になったからといきなり妻が乗り込んできたはがりなので、。また倒れないことを祈りつつ。
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