季節の変わり目で見事に体調を崩したモウロ将軍ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?さてここで言おうとしているのは、YU-NOで描かれる恋愛が、学園モノで見られがちな閉じた自意識ゲームの埒外にある、ということに他ならない。
人によっては、DESIREやEVEといった剣乃の他作品との類似性を指摘するかもしれないし、確かに登場キャラの年齢という点では特徴を同じくする部分はある。しかしながら、その中身に関しては全く異なるのである。例えばDESIREのエロの多くは、ストーリー的必然性よりも抜きの要素を強く感じさせる(それがダメってことじゃありませんよ)。アクション映画的な流れ(?)を重視したのかもしれないが、スポーツ的なセックスや無邪気な寝取り系のセックスばかりが目立つという印象を持っているのは俺だけではあるまい。そしてむしろ、そういう要素の薄い〇〇チ〇との絡み方が、後のYU-NOへと繋がっていくのである(そして〇〇チ〇と〇〇〇ナだけHシーンがないことにも注意を喚起しておきたい)。
なお、原文に出てくるWhite Albumに関してもかなり長いレビューを書いたことがあるが、それもいずれ再掲することになるだろう。そしてこのレビューの次から、あの長大なエンディング批評が始まることになる・・・。
※さっきWhite Albumの二回目をコンプリートしてヘロヘロだが、なぜか急にこの記事を書きたくなったのでとりあえず上げておく事にする。なおYU-NO全体に関しては、この記事及び次の記事を参照のこと。
以前「YU-NOで描かれるているのは大人の恋愛」という評価を見たことがあるが、これは的を射てると思う。まず、女性キャラクターがほとんど社会人以上(澪とユーノは別)であるという事実。エロゲーに出てくるキャラクターが基本的に高校生~大学生でその中に社会人が混じるのが一般的であることを考えれば、これは非常に特徴的であると言える。
ただ、それだけなら単に社会人が多く出ているだけでしかない。特筆すべきは、YU-NOの女性達はみな「重荷、しがらみ、複雑な背景」を持っていることである。例えば美月なら妻子ある龍蔵寺に対する行き場の無い愛情、生徒である主人公との関係、亜由美なら義理の息子との関係性…こういったタブーの問題に加え、例えば香織(ニュースキャスター)は打算で動き、絵里子にもそういう側面がある。
要するに、互いに惹かれても何かしらのタブーのため葛藤したり、そうでなければ打算で関係を結んだりする…そういった一筋縄でいかないところが、YU-NO=「大人の恋愛」というイメージで語られる所以なのだろう。そしてまたそのような傾向あればこそ、主人公と同じ高校生である澪の分かり易い(かつ、しがらみと打算のない)態度・立場が際立つのだ。
こういった恋愛感情・関係の特異性も、YU-NOが際立った作品になっている要因の一つと言えるだろう。
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