「真の宗教」という観念

2006-03-21 21:17:00 | 宗教分析
現状に対して批判的な視点を持つことは重要である。しかし、それがしばしば過去の理想化を伴うという危険性にも留意する必要がある。


◎伝統宗教の建造物(例えば古い神社や寺)と違って、新興宗教の建造物からは権力欲や金銭欲が想起されるとしたら、それはなぜだろうか?前者にも権力の誇示という目的や、民衆からすくい上げた金銭(もちろん中には勧進もある)で建てられたものも多いというのに。「古いからよい、正しい」という権威主義か?


◎「真の宗教」などという不変の基準は存在するのだろうか?それが例えば原初のあり方を理想と仰ぐことであるなら、原理主義といったい何が違うのだろうか(念のために強調しておくが、過激な行動に出ることを原理主義と言っているのではない)?というのも、世界は変わり続けているのだから、原初のままの宗教の形態など(ほぼ)存在しえないからである。


要するに、過去に理想的な状態=「真の宗教」が実現されていた時期があって、それから逸脱している今という視点になってはいないか?ひたすら現状肯定的であれというつもりなど全くないが、世界が変わっていく以上、宗教のあり方が変わるのは必然的だと思うがどうだろうか。

まあそれにしても過去の宗教のあり方を真摯に知ろうとしている人ならまだいい。問題は「無知」「毛嫌い」の人たちだよなあ、と思う。
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