映画館へ久しぶりに足を運んだことで、色々な作品に改めて興味がそそられた。とりあえず近々「ナポレオン」を見に行きたいと思っている。
近年、マクロン大統領が公の場でナポレオンへ批判的に言及して話題になったが、ナポレオンという男が歴史において担った役割は、実のところあまりにも大きく、余りにも複雑である。
例えばそれはナポレオン法典(フランス民法典)による「私有財産の神聖不可侵」という規範の法制化であり、また各地の侵略行為を通じ、結果としてフランス革命で萌芽したナショナリズムが、ヨーロッパ諸国に伝播するきっかけにもなった。そのような側面は、ナポレオンが己の侵略行為を正当化するために喧伝したものでもあった。しかし実際のところ、精強なフランス国民軍と互角に渡り合うためにもプロイセンなど各国首脳もまた国民教育と国民軍の育成を迫られた結果、そのナショナリズムやそれを機能させるための諸システムは模倣・実践され、ゆえに革命をご破算にするウィーン体制が敷かれてもなお、各地でブルシェンシャフトや青年イタリアなどによる蜂起や革命が繰り返され、1848年よりヨーロッパは近代市民社会の到来を迎えるのであった(このあたりの話は、毒書会で取り上げたマンハイムの『イデオロギーとユートピア』、あるいはアンダーソンの『想像の共同体』などを参照されたい)。
このように考えてみると、ナポレオンという男は近代の素地を作り出す上で間違いなく重要な役割を果たしたし、またコルシカ島=辺境出身にもかかわらず、その類まれな能力で国家元首まで上り詰めたという実力主義的な来歴もまた、アンシャンレジーム終焉後の権力者という意味で、非常に象徴的な存在であったと言えるだろう(これについては、ダウーやマッセナなど、彼の幕僚たちにも概ね同様のことが言える。もちろん、ナポレオン失脚後は王政復古となったし、またその後も七月革命ではブルボン家の支流であるルイ=フィリップが王になるなど、必ずしも実力主義が世を席捲したわけでないことはよく知られていることだが)。
このように見てくると、ナポレオンという存在が単なる英雄などを大きく超えた時代の寵児であったことがわかるが、しかし同時に、彼の侵略者的側面に目を向けない訳にはいかない。それは確かに対仏大同盟への対抗という防衛的側面が無かったとは言えないが、それでもマレンゴの戦い、エジプト遠征、トラファルガーの戦い、アウステルリッツ三帝会戦、イエナ・アウエルシュタットの戦い、ロシア遠征、スペイン占領とゲリラとの戦い、ライプチヒの戦い、ワーテルローの戦いなど、主要なものだけを挙げてもこれだけの戦役と血に塗れており、その根底には第二のカエサルたらんとする野望があったことは否定のしようがない。
そのような野望と能力、カリスマ性をもってナショナリズムが芽吹いたフランスを自らの手駒として使って他国との戦争をくり返し、多くの骸の山を築いたことは紛れもない事実である。その意味で言えば、先の「時代の寵児」という言辞はいささか良心的に解釈し過ぎるのであって、より正確には「時代の鬼子」という表現が最も適切ではないかと思われるのである(これらは彼の個性のみに帰せる話ではない。というのも、近代社会や国民国家、ナショナリズムというもの自体が今述べた両義性を持っているからで、それは「市民革命・産業革命以降の急速な社会の発展と、膨大な死者を出した二つの世界大戦」といった現象からも容易に理解される。さらに具体的な例で言えば、後にルイ・ボナパルトという男が皇帝に即位できたのは、フランスが多くの派閥に分裂して合意形成が困難な中だったとはいえ、叔父の栄光を利用してポピュリズム的に民衆の支持を集めたことによるのであり、マルクスが言う「二度目は喜劇として」の繰り返しが起こったのであった。そして彼は、あくまで張りぼてでしかない国民からの人気を維持するために、クリミア戦争にアロー戦争、メキシコ出兵にプロイセン・フランス戦争と、次々に対外侵略・戦争へ手を染めていったのであった)。
この「ナポレオン」という映画を製作するにあたり、監督リドリー・スコットは「ナポレオンをヒトラーとして描こうとした」のだという。危機の時代にそのカリスマ性で権力者へとのし上がり、イデオロギーで敵・味方とも地獄の業火で焼き尽くしたという点においては、なるほど彼をそのような怪物として描くというのは、非常に興味深い試みだと思う(あるいは、「帰ってきたヒトラー」なども興味深い連想だ)。
というわけで、どこの映画館に遠征するかは未定だが、近いうちに視聴とレビューを書くことにしたい。
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