アメリカの平均的な水準で地球人全員が生活した場合、6億人が限界であると言われている。さて、アフリカや東南アジアなどの人々が「平等」なる観念に基づいて上記の生活水準を求めてきた時、「平等」というものの中身を特に考えもせず真理(とは言わないまでも良きもの)だと認識している人たちは、いったいどのような理論でそれに応えるのだろうか?
なお、「平等」を徹底するなら論理的には二つの答えしかない。
1.先進国の住民たちが要求する側へ贈与を行うとともに生活水準に落とす
2.54億人を抹殺する
…以上のようなことを少しでも考えれば、中身を考えない「平等」など無価値どころか有害であることが容易に理解されるだろう。
ところで、「人間らしい生活」の水準ってどんなものかいな?
なお、「平等」を徹底するなら論理的には二つの答えしかない。
1.先進国の住民たちが要求する側へ贈与を行うとともに生活水準に落とす
2.54億人を抹殺する
…以上のようなことを少しでも考えれば、中身を考えない「平等」など無価値どころか有害であることが容易に理解されるだろう。
ところで、「人間らしい生活」の水準ってどんなものかいな?
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