自殺対策基本法について:その真意

2006-07-28 21:26:14 | 感想など
どうも国家レベルで自殺に関して対策を練っていこう、という趣旨らしい。まあ予想通り中身は曖昧でどれだけ実効性があるのか非常に疑わしいが、それにしてもなぜこのような法律が出てきたのかと思う。

例えば交通事故に対し、交通規制や法律改正で対応するのはわかる。それは紛れもなく「事故」であり、たいていは明確な被害者―加害者が存在するからだ。ゆえに、朽ちそうになっている木の橋を(崩れて人が迷惑したり事故がおきたりしないように)コンクリートのものに公共機関が取り替えるのと同じように、必然的な行為であると言える。

しかし自殺はそうではない。というのも、それはまったく「個人の意思」によったものだからであり、敢えて言うならそこに被害者―加害者という二項関係は存在しないのだ。とすると、国家が、人道的な対面としてならともかく、自殺の増加という現象に法律を作ってまで対応する論理的・合理的な理由は存在しないかのように思える。もちろん、自殺理由のトップに上がっていると言われる「心身の問題」に関してカウンセリングへの需要が高まるといった現象、もしくは民間レベルでの対応(企業におけるカウンセリング機関の充実を図るなど)が行われることには全く不思議はないのだが、国家がそこに関わっていく必然性が今ひとつ理解できないのである。

こう考えてくると、「働き盛りの人間の自殺が増えると税収が減って困る」というのが制定の実質的理由ではないか、という推測に行き着く。というのもそう考えると、法律制定という国家レベルの対応にも必然性があるということになろう。もっとも、そういう目的の対象となるような中年の自殺者は多くが経済的な問題を抱えており(自殺理由の二位だそうだ)、そういった人間の自殺が止まったからといって、税収が上がるどころかむしろ生活保護等の支出が生じてマイナスなのではないか、とも思える。まあ彼らの社会復帰システムを整えれば状況は変わってくるだろうから、これらがうまく連動すれば少なからず効果が上がるようには思うのだが、私の聞く限りの法律の内容ではそれを期待するのも無理のようだ…



…あるいはまた、どっかの国の猿真似なのかな、かな?
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