やはり携帯から送るにはいささか重過ぎる話題だったようだwそこで改めて、書き直した内容を記すことにしよう。
私には、どんなものにも通用する基準など存在しないように思える。少なくとも、物事を評価する場合に関してはかなりの程度当てはまるだろう。例えば「ちびっこサッカー」を大学生の基準で、また大学生のサッカープレーヤーをリーガやセリエAの基準で評価するのは不当であると言える。これは、物語の醍醐味の一つである伏線についても同じだ。例えば、怪傑ズバットにおいて伏線が回収されないのはむしろ面白くすらあるが、いかにもそれらしい雰囲気を醸し出しつつクリアに十時間ほどかかるゲームの場合、伏線が回収されないのは大きなマイナスであると言える。とすれば、各々に異なる水準や方向性があることを理解し、それに従って評価を行うのが必要であると言えよう。
では、その水準をどのように定めればよいのか?そのために用いているのが、「作者が何を表現しようとしているか」という方向性の把握と、「それをどのように表現しているか」という視点であった。それはともかく、私はあらゆるものを同じ基準で評価してるわけではないことが明確に意識されたと思う。そしてひぐらし皆殺し編に関して言えば、そのプレイ後に、私はその基準を甘めにしたのであった(というのも、それまでの基準で評価するのは可哀想だと思ったからだ)。なお、評価を変えた要因は、以前に書いた「フラットになった人間関係」だとか表現方法の稚拙さゆえであり、展開の仕方といった理由ではなかった(これについてはいずれ述べるとしよう)。
そのため、ひぐらしに対する評価基準は甘めということはあっても厳しいということはありえない、と私は思っている。
私には、どんなものにも通用する基準など存在しないように思える。少なくとも、物事を評価する場合に関してはかなりの程度当てはまるだろう。例えば「ちびっこサッカー」を大学生の基準で、また大学生のサッカープレーヤーをリーガやセリエAの基準で評価するのは不当であると言える。これは、物語の醍醐味の一つである伏線についても同じだ。例えば、怪傑ズバットにおいて伏線が回収されないのはむしろ面白くすらあるが、いかにもそれらしい雰囲気を醸し出しつつクリアに十時間ほどかかるゲームの場合、伏線が回収されないのは大きなマイナスであると言える。とすれば、各々に異なる水準や方向性があることを理解し、それに従って評価を行うのが必要であると言えよう。
では、その水準をどのように定めればよいのか?そのために用いているのが、「作者が何を表現しようとしているか」という方向性の把握と、「それをどのように表現しているか」という視点であった。それはともかく、私はあらゆるものを同じ基準で評価してるわけではないことが明確に意識されたと思う。そしてひぐらし皆殺し編に関して言えば、そのプレイ後に、私はその基準を甘めにしたのであった(というのも、それまでの基準で評価するのは可哀想だと思ったからだ)。なお、評価を変えた要因は、以前に書いた「フラットになった人間関係」だとか表現方法の稚拙さゆえであり、展開の仕方といった理由ではなかった(これについてはいずれ述べるとしよう)。
そのため、ひぐらしに対する評価基準は甘めということはあっても厳しいということはありえない、と私は思っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます