フラグメント5:血の繋がり、中性的なものに惹かれる理由など

2007-10-28 11:53:33 | フラグメント
<血が繋がっているということ>
仮に好きになった女性がいたとして、その人が兄弟とすればどうなる?繋がっていない[正しくは「繋がっている」]とわかったら冷めないか?もし気持ちが変わるなら後天的な理由と考えられる…近親相姦の問題など、自分に繋がっている方が(自分の分身だから)愛せるのなら、その根源は親子であるという社会的関係ではなく自己愛ではないか?先天的な理由、DNA[もし自分の子が本当の子でないとわかった時以前のように愛せなくなるなら、それはなぜなのだろうか?]

※血が繋がっていると男女の愛情が醒めるのか?という話題はこの前帰省した時に出たもの。それと関連して子供と血がつながっていないとわかった時に愛情が冷めるならそれはなぜだろうか?と考えている。上記の文章では(自分に繋がりがあると愛せる=)自己愛という結論に到っているが、その他に「騙されていた」という感覚が失望を生む、という理由なども考慮に入れる必要がある。


出生率・虐待~ウィッチ[ブレイド]、トトロのネタ>
じゃあ国家を重視しているどれだけの所で子供を国家のために生んでいるだろうか?日本人がやってないのではなく何人もなしえていないではないか。それを日本人ができるようになるには恐ろしく困難だろう[要は出生率低下に関する問題の本質を掴んでいないということ。この記事のプロトタイプである]。考えることはすべからく哲学のはずだが、問題はその行為を哲学と名付けた瞬間に何か高尚で近寄りがたいもののように認識されてしまうことである[勝手に小難しいものにしてしまい、そういう言葉を有り難がったりする]。これは歴史が本来人々の営みそのもののはずなのに、そう名が付いた瞬間にまるで「偉人たちの伝記」のように考えられてしまうのと似ている。


<夏の白雪姫、井上毅と宗教
ユニセックスの隆盛、[うたたねひろゆきの]誘惑では知りもせず、恋ようび、ねがぽじ[※]、制服自体も問題だが、なぜ男女でズボン・スカートと分ける必要があるのか?おそらく、いやほとんど疑いがない[※2]。他者を自分の気紛れに巻き込みたいとは思わない。水月、冬子にひかれる→(流されて)破滅型。いよいよ現実味を帯びる、か。まあそんな甲斐性はないが[ついでのひぐらしの鷹野と間宮リナも加えると、流されてというより「喜んで破滅型」になるw]w


中性的な存在や両性具有などに惹かれる理由について考えようとしているらしい。なお、「恋ようび」「ねがぽじ」の両方ともエロゲーであり、前者は姉の身代わりとして女装していた真央(男)と×××になる話があってコーヒーを吹きそうになった記憶がある。なおねがぽじは未プレイだが、あまりにありえない設定だけでオモシロソウデスネ。


※2
これだけでは意味不明。記憶によると、ここには次のどちらかが書いてあったはずだ。

(1)[必要があるのだろうか?必要あるのだ。]その理由の一つが「男のスカートは気持ち悪いから」であることは(おそらく、いやほとんど…)
(2)自分がおそろしく気まぐれな人間であることは(おそらく、いやほとんど…)

(1)は前の文と繋がってズボンとスカートが分けられる理由の一つを説明している。(2)は前の文章とは切れていて、後ろの「他者を自分の気紛れに…」に繋がっている。


<ガラス[のメモリーズ]の歌い方>
[宗教は]逆境に打ち拉がれたものの溜息→豊かさが実現された社会では必要でなくなる(一億総中流という幻想)。→根拠のない豊かさ[=生まれた時から豊かであること]に不安や罪悪感を抱くことも注意[※昔で言えば、貴族の娘が宗教にのめり込むなど]。ここで興味深いのはここでサイクルが一巡していることだ。どこにか?偶然と不条理が多く不平等が当たり前にあって、その不安定さゆえに人が「神の罰」を求めた時代に、だ[要は不安定な社会がまた訪れており、それゆえ宗教というものの需要がまた高まるのではないか、と言いたいらしい]。不安定→宗教の復活([福祉のしっかりしている]北欧の状況はどうなん?)。カノンの宗教性は以前指摘した通りだが、なかなかに興味深いではないか。よほど事情がある人もいるだろうけど、自分で選んだんだから同情できねえなあ[最後の文だが全く意味不明]
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