A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(その5)入院生活前半

2007年07月25日 19時13分31秒 | 前立腺癌
7月6日(金)
手術後 一夜明け回復室より自分の病室に戻ってくる。
短い時間だが住みなれた我が部屋 落ち着く。

看護婦の検温・血圧測定で病院の朝は始まる。
続いて6人ぐらいの医師による朝の回診。

そして二人組の医師による傷口チェック。
ガーゼを取り外し傷口を消毒 新しいガーゼを貼るだけ。
薬もつけず今後は自己治癒力で治す事になる。

傷口を合わせ鏡で見せて貰うと下腹部 縦に14センチぐらいの切り傷。
内部は溶けてしまう糸で縫っているそうだが表面は切り傷が
なるべく綺麗につながるようホッチクスで留めてある。
ホッチキスが規則正しくならんでいる様は
YKKジッパー(チャックとも云う)のようだ。


手術後 体には現在5本の管が入っている。
抗生物質注入用
点滴用
尿排出用
痛み止め剤注入用
ドレーン排出用
の5本である。

それにエコノミー症候群を防ぐ為両足ふくらはぎに
自動マッサージ機のような器具が取り付けられている。

夕方抗生物質と点滴の2本を抜く。

病院の廊下の散歩と水を沢山飲むように医師から指示されている。
ビニール管の尿の色が濃くなると看護婦が
もっと水を飲むように注意してくる。


朝昼晩 食事は思ったより不味くない。
覚悟していたので結構美味しいお皿もある。
しかし全般的に薄味なのに驚く。

諦めているので晩酌無しでも気にならない。
アル中では無かったらしい。

ドレーンからは少量ながら体内から赤黒い液体が流れ出ている。
これが止まらなければいけないそうだ。
 
尿管にビニール管を挿し込み膀胱まで通じさせている。
膀胱と尿管が繋がったことが確認出来るまで抜けないらしい。
そのビニール管の端が膀胱の内壁を刺激して尿意をもよおさせる。
尿は垂れ流しに出ているので、出すものも無く非常に不快感が強い。
痛み止めの座薬を使う。

夜中に悪寒 歯がガタガタ震えがくる。
手術後 前回胆嚢炎手術の時と同じ。
看護婦を呼ぶ。
寝汗がひどい、下着を取り換えてもらう。

7月7日(土)
今日は七夕。
病院の外来はお休み。
 
手術は終ったし特に薬も服用していない。
自己治癒力で手術の傷跡を治す以外ない。
辛抱強く時間を過ごす事が肝心か。

しかし段々合併症というか膀胱・尿管の違和感・痛みが
強くなって不愉快極まりない。


病院正面入り口ホールで七夕コンサート。
気分転換に家内と聴きに行く。




結構大勢の患者がトークとキーボードの弾き語りを楽しんでいる。

夕食も七夕メニュー
豆御飯 鯛?の御吸い物 天麩羅 デラウエア。
勿論入院代とは別に食費代もとられている。



夜 東京タワーが オレンジ色の照明から夏用の涼しげな白い照明に
変わったのが病窓から眺められる。



7月8日(日)
長男家族が皆で見舞いに来てくれる。
孫達は元気、嫁は体調を少し崩しているらしく無理させてしまったのではないか。

入浴・シャワーの許可はまだ出ない。
看護婦に洗髪をしてもらう。


7月9日(月)
依然として膀胱。尿管の違和感・痛みが続いている。
痛み止めの座薬と誘眠剤をとり就寝。

7月10日(火)
昨夜のカタール戦は惜しいところで一点入れられ引き分けとは残念。
オシムの最高に機嫌の悪いゲーム後のインタビューが面白かった。
八つ当たりされたインタビュアーのアナウンサーは相当面食らっていた。
これから宿舎での反省会は揉める事だろう。

しっかり睡眠をとるべく睡眠薬を服用お陰で朝7時までクッスリ。

朝の回診の話 
「水をもっと飲むように廊下の散歩を怠たらずに」。
よほど重要な事らしい。

昼食には鮎の塩焼き。
天然ものではないだろうが中々美味しい。

OK夫人、末弟夫婦が見舞いに。
痛み止めの座薬のお陰で気分良く対応が出来た。

昨日は家内から中トロと長男よりプリンの差し入れ。
今日は大トロの握りと葡萄の差し入れあり。
 
あと二本残っている管はいつ抜けるのか。
そろそろ退院予定日を医師に聞いてみよう。