ときどきナスの整枝をする。
葉もカメムシなどに食われている。
そのうちに、葉の上に鎮座するアマガエルを発見。
かわいい大きさだが、じっと動かない。

背中の姿も美しい。
畑でときおり遭遇する修験者の姿にハッとする。
「いまをほどよく生きているかね」と声をかけられている気がする。

ふだんの暮らしの中でこうした静かな坐臥というものが失われてきている。
つねにテレビ・ラジオ・音楽・スマホや機械的な音とが日常を包摂している。
何が人間として本当の生きかたなのかを考える時間や空間がとれない。
そんなとき、手のひらに乗るほどのアマガエルが問う。
「きみは何に向かって生きているのかね」と。
葉もカメムシなどに食われている。
そのうちに、葉の上に鎮座するアマガエルを発見。
かわいい大きさだが、じっと動かない。

背中の姿も美しい。
畑でときおり遭遇する修験者の姿にハッとする。
「いまをほどよく生きているかね」と声をかけられている気がする。

ふだんの暮らしの中でこうした静かな坐臥というものが失われてきている。
つねにテレビ・ラジオ・音楽・スマホや機械的な音とが日常を包摂している。
何が人間として本当の生きかたなのかを考える時間や空間がとれない。
そんなとき、手のひらに乗るほどのアマガエルが問う。
「きみは何に向かって生きているのかね」と。