明治35年(1902年)に浜松・旧二俣町長に就任した小沢義助翁。大正5年(1916年)までの間に、二俣小・町立実科高等女学校の創立、天竜川鹿島吊り橋の架設などをはじめ地域に大いに貢献した。それを記念して、昭和8年(1933年)に全身立像の銅像が建てられる。しかし、時局が戦時体制で金属を供出したため撤去したという。その後、残された台座の上にコンクリート製の胸像を昭和32年(1957年)に再建。

その後、平成17年(2005年)かつての台座の上に三体目の像を再建。台座があまりに立派。その台座は「アールデコ」風の幾何学的な模様であることで当時の先端デザインを採用しているのがわかる。「小沢義助君像」の文字は、29代総理の犬養毅による。
3回も像が作られるほどに地域から信頼された町長だったということだ。気に入った木造トイレの近くの旧役場に鎮座している。

その後、平成17年(2005年)かつての台座の上に三体目の像を再建。台座があまりに立派。その台座は「アールデコ」風の幾何学的な模様であることで当時の先端デザインを採用しているのがわかる。「小沢義助君像」の文字は、29代総理の犬養毅による。
3回も像が作られるほどに地域から信頼された町長だったということだ。気に入った木造トイレの近くの旧役場に鎮座している。