スペインとポルトガル両国は世界を二分割・統治する「トルデシリャス条約」(1494年)を結ぶ。これにより非キリスト教地帯を武力と宗教で植民地化していき、「大航海時代」の推進国になっていく。そして南北アメリカとフィリピン・アフリカ等を少ない兵士と武力でジェノサイド・殺戮を敢行しあっという間に征服していく。そこに、ポルトガルのイエズス会やスペインのフランシスコ会などの宗教者が武力容認・植民地化推進の先兵となっていったことはあまり知られていない。信者はその歴史的事実については全く知ろうともしていない。

本書、平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書、2018.4)の眼目は、世界を凌駕・支配していた最強のスペインは戦国・江戸の日本を植民地化できなかったのはなぜかということだった。それには、秀吉の朝鮮出兵にヒントがあると作者は提起する。秀吉はすでにポルトガルやスペインがキリスト教支配のみならず日本を武力による植民地化をうかがっていることを知っていた。それを踏まえて、中国(明)侵略をはじめインド・東南アジアをも視野に入れて、つまりアジアの植民地化を大目標にしてまずは朝鮮侵略を断行する。その日本の軍事力と精悍さにスペイン・ポルトガルは今までどおりの世界制覇・武力では通用しないことを思い知る。

秀吉の朝鮮出兵と聞くと「なんでそんな無謀なことをしてしまったのか」とつい思ってしまうのがフツーだが、作者の視点は、それがもたらした大国への「効果」(=日本への武力制圧はむずかしい)は大きいと指摘する。さらに、ヨーロッパからの徳川家康の呼称は、「皇帝」だった。ヨーロッパでいう皇帝は神聖ローマ皇帝だけだった。スペインの最高位でも「国王」だ。つまり、日本は世界の中でも「帝国」扱いだったと作者は指摘する。実際、最強だったスペインの侵出を日本は事実上阻止・排除した。オランダ・イギリスからの入れ知恵もあったが、スペインからの武力侵略を最後まで牽制・警戒し見抜いていたということだ。

当時のヨーロッパ列強の日本の評価が「帝国日本」という認識を共有していたということになる。このへんの世界史的位置づけが作者の広い外国文献の読み込みの努力の跡が見受けられる。当時の中国・明を中心とする東アジア秩序という視点ではなく、「中国のように中華を自称するのではなく、他称としての<帝国>評価だった」視点が新しい。消耗のように見えた日本の戦国時代と江戸は、軍事力と政治力を強固に結集させたことにより諸外国の侵出をはねかえした、植民地化を阻止した、という視座が新鮮だった。

本書、平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書、2018.4)の眼目は、世界を凌駕・支配していた最強のスペインは戦国・江戸の日本を植民地化できなかったのはなぜかということだった。それには、秀吉の朝鮮出兵にヒントがあると作者は提起する。秀吉はすでにポルトガルやスペインがキリスト教支配のみならず日本を武力による植民地化をうかがっていることを知っていた。それを踏まえて、中国(明)侵略をはじめインド・東南アジアをも視野に入れて、つまりアジアの植民地化を大目標にしてまずは朝鮮侵略を断行する。その日本の軍事力と精悍さにスペイン・ポルトガルは今までどおりの世界制覇・武力では通用しないことを思い知る。

秀吉の朝鮮出兵と聞くと「なんでそんな無謀なことをしてしまったのか」とつい思ってしまうのがフツーだが、作者の視点は、それがもたらした大国への「効果」(=日本への武力制圧はむずかしい)は大きいと指摘する。さらに、ヨーロッパからの徳川家康の呼称は、「皇帝」だった。ヨーロッパでいう皇帝は神聖ローマ皇帝だけだった。スペインの最高位でも「国王」だ。つまり、日本は世界の中でも「帝国」扱いだったと作者は指摘する。実際、最強だったスペインの侵出を日本は事実上阻止・排除した。オランダ・イギリスからの入れ知恵もあったが、スペインからの武力侵略を最後まで牽制・警戒し見抜いていたということだ。

当時のヨーロッパ列強の日本の評価が「帝国日本」という認識を共有していたということになる。このへんの世界史的位置づけが作者の広い外国文献の読み込みの努力の跡が見受けられる。当時の中国・明を中心とする東アジア秩序という視点ではなく、「中国のように中華を自称するのではなく、他称としての<帝国>評価だった」視点が新しい。消耗のように見えた日本の戦国時代と江戸は、軍事力と政治力を強固に結集させたことにより諸外国の侵出をはねかえした、植民地化を阻止した、という視座が新鮮だった。