山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

新宿『中村屋のボース』が遺したもの

2019-04-15 20:10:28 | 読書
 新宿中村屋の歩みは実に波瀾万丈だ。臼井吉見の『安曇野』では中村屋を創業した相馬夫妻を中心として、明治から昭和中期時代を代表とする芸術家や政治家が次々と登場する。例えば、荻原守衛・中村彜・木下尚江など、まさに「中村屋サロン」は歴史的空間の舞台だった。そこに、イギリスの植民地だったインドの独立運動をしていた革命家R・B・ボースを匿う。そのへんのドラマチックな事情をもっと知りたいと、中島岳志『中村屋のボース』(白水社、2005.4)を読み終える。

       
 命がけで亡命してきたボースら革命家を匿い、援助してきたのが、相馬夫妻だけではなく、なんと右翼・国家主義者だった。戦前の代表的な大物フィクサー・頭山満は自宅の隣に中国の孫文を匿い、当時の大物政治家とコンタクトも取る。大東亜の理論的支柱・大川周明はボースを自宅に匿う。戦前の右翼は懐が深いだけではなく、欧米列強によるアジアへの植民地化阻止、アジア各国の独立運動をも支援していた。


                

 頭山満は、中江兆民・吉野作造・大杉栄をはじめ犬養毅ら政治家との有機的な交流があった。頭山満らの支援により、ボースは日本に帰化することで側面からインド独立をめざすことにし、相馬家の娘・俊子と結婚するとともに、「インドカリー」を中村屋に伝授・商品化に成功する。


                 

 著者・中島岳志は、膨大な資料を丹念に整理・分析し、インド解放を死ぬ直前まで賭けてきたボースへの鎮魂の意思を淡々と奏でている。日本に亡命したボースは、頼りとしたその日本が朝鮮をはじめとする植民地化政策をとるという矛盾になんども苦悩する。


                
 そして最終章で、中島氏は静かに問う。「彼はこの<インドカリー>がある限り、<中村屋のボース>として生き続ける。
 R・B・ボースの叫び声は、現在も新宿の真ん中で、日本各地のスーパーやコンビニエンスストアの棚の中で、秘かに発せられ続けている。それは、今日の日本人に対して向けられた<アジアという課題に目をつぶるな!>という叫び声であるように思えてならない。」と。  


 
 
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