日本学術会議の新会員候補になっていた加藤陽子さんが菅総理によって任命拒否されたニュースが流れていた当時、たまたま同教授の『それでも、日本人は<戦争>を選んだ』(新潮文庫、2016.7/平成28)を読んでいた。歯医者の空き時間を利用して読んでいたので読了するのに時間がかかってしまった。本書は、有志の中高生に向けて講義形式で伝えた授業を記録したものだ。
以前から、310万人もの戦死者を出した太平洋戦争とは何だったのかの疑問がいつも脳裏に引っかかっていた。親父も中国大陸に参戦していて、戦後はスパルタ教育で子育てをしていた。オイラが生まれたころはさいわい人生に疲れていたのでその煽りは全く受けなかったが、兄貴たちは引き受けていた。
今は亡き親父はこの戦争について多くは語らなかったが、加害者としての意識は全くなかった。NHKの「ファミリーヒストリー」の場面のように戦争体験はさらりとスルーするだけだ。兄貴らも焼夷弾に危うく当たりそうだったとか家を焼かれたの話はするがそれがどういうことだったのかは語らない。
表題の『それでも、日本人は戦争を選んだ』という主題は、未消化だった内容のような気がする。日清・日露・第1次世界大戦・日中戦争・太平洋戦争に至る軍部の暗躍についてはかなり膨大な例証で示されていたのはさすがだった。半藤一利の『幕末史』と似ている。
その例証は初めて知ることが多く、それについて日本国民がいかに知らされていなかったかを痛感する。知らされたくない、隠蔽したい、寝た子を起こすな、自虐史観に陥るな等という声が今も聞こえてくる。確かに、軍部の指導者たちの考え方や日本を包囲する世界情勢も大きな要因だが、それに国民がどうして巻き込まれてしまったかをもっと知りたいところだったのだ。
「あとがき」に、日露戦争開戦後まもなく幸徳秋水が平民新聞に載せた記事を引用して、「桃太郎の鬼が島を征伐するに似たり」と紹介している。「戦争となれば真っ先に犠牲となるはずの普通の人々が…なぜ戦争に熱狂してしまうのか」と教授は問う。
ここは、当時のマスコミや知識人らの役割も「要」であって、そこまでは十分言及できなかったのが残念。それは親父や兄貴らの戦争体験は被害者としての記憶はあっても、加害者もしくは戦時体制に巻き込まれた視点が欠落している。
そうなるとこれは歴史学という範疇には収まらない問題なのではないかと思う。この辺の問題は今後こだわっていきたい。それは過去の問題ではなく現在の問題でもあるからだ。加藤教授の任命拒否はまさに過去を直視したくない、まさに現代につながる歴史問題だからだ。