米作りをやっているAくんから「稲ワラがあるけどいかが」との連絡があり、二つ返事で田んぼに急行する。田んぼのすべての稲はとっくに刈り取られ、ところどころに稲わらの「わらぼっち」が築かれていた。
むかしはこの藁を田んぼに漉き込んで有機肥料にしたり、わら細工にしたり、お宮の注連縄づくりなどに活用されている。しかし、田舎の過疎化の進行とともにそれを担う人材も少なくなり、せいぜい藁を焼くくらいしかできなくなってきた。
野焼きするのもけっこう時間がかかるという。そういえば野焼きを中断した跡もあった。その野焼きもできるだけやらないようにとのチラシが当局から回覧されてくる。農協もこれからの農業の方向性を指導できる人材もいない。手がかかる有機農法にはとても過疎地には辛い。となると、化学肥料にますます依存するしか選択肢がない、としか言いようがない。
A君の作ったもち米の天日干し「はさがけ」が残っていた。端正に作り上げたAくんの優しさが風景となっている。そんな情景を借景に、わらぼっちのいくつかをいただく。車にぎゅうぎゅうに詰めても全部はとても乗せきれない。
家まで運んでなんとか空いている畑に運ぶ。わらを束ねてあるので、敷き藁のマルチにはやりやすい。わらは貴重な肥料でもあるが最近の農家にとっては残念ながらお荷物ともなっている現状だ。家庭菜園もどきのわが家にとっては葉もの野菜や庭の草花のマルチや土壌改良にはもってこいのアイテムとなる。運搬に汗が流れたが、ありがたーい贈り物だったのは間違いない。