そして、稲わらの次は木材チップを発酵させた肥料をもらいに近所に行く。「好きなだけ持っていきな」といつも言ってくれる。といっても、車に積める量は意外に少ない。今年になっていただくのはこれで3度目となる。
手持ちの空き肥料袋は20枚しかなかったが、車に積んだのは18袋だった。軟な体にはこんな作業でも腰が痛くなってくる。腰に負担がかからないようにするが、運搬もけっこうずっしりとくる。これだけの肥料をお金に換算するとけっこうな数字になる。ありがたい。
しかも、里芋をダンボールひと箱分をその場で掘り上げていただいてきた。里芋はイノシシの好物なので今年も栽培を断念したものだった。同じ地域なのに、イノシシが出回る頻度はずいぶん違うのだ。そうして、わが家の空いている畑に運搬。つまり、わらの隣に置いたというわけだ。ただし、長く置いておくとシロアリが発生するので土壌に漉き込むスピードを速めて、土壌改良にしていきたい。都会とは違う田舎のつながりが快適だ。
このところの都会の電車内での傷害事件が絶えないが、人間の孤立化・孤独化が侵攻している。もともと人間は孤独な存在なのだ。それを埋めていくのが人とのつながりだ。そのつながりは待っていても形成できない。みずからが働きかけないと獲得できない。地域に対して、相手に対して、自分なりにできることとは何かを考え無理なくやってみるということが要だ。
そうしたなかで人との手応えやありがたさを実感できる。そんな波動を受けたのが例えば今回のわらであり肥料でもあった。過密から過疎への変転から、オイラが十年以上をかけて得た結果でもあった。それは自分が生きているという実感を持てることとは何かを試みる日々だったということでもある。