イントゥ・ザ・ワイルド
2007年/アメリカ
名前の正しさ
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
作品の前半辺りまで私は美しい大自然の映像とトルストイやソローやジャック・ロンドンの文章などが引用されているため、てっきり‘ニューエイジ’系の作品かと思って胡散臭く思いながら観ていたが、結局そうではなかったことが分かり安心した。
この作品の根底にあるテーマは‘名前’だと思う。主人公のクリスが家出をした原因の1つとして、元々彼が私生児のようにして生まれたこと、つまり‘本当の名前’があやふやだったことも挙げられるだろう。だから彼はいったん本名であるクリストファー・マッカンドレスを捨ててアレクサンダー・スーパートランプという偽名で自分の原点を見つめ直す旅に出たのだと思う。偽名というものはそれほど悪いものではない。そのキャラクターを演じるように誰とでも気軽に仲良くなれる。しかし本気で人間関係を築くことになると都合が悪くなる。例えば年老いた革職人ロン・フランツに自分の養子になるように求められた時に、偽名を使っているクリスは返事ができないことになる。おそらくこの時にクリスは‘名前’の問題に気がつき始めたと思う。
しかし‘正しい名前’とは何なのかというのは実ははっきりとはしない。例えば彼が食用に選んだはずの野生のジャガイモの根は、実際は食べることのできない野生のエンドウ豆の根であった。学名、つまり‘正式名’が同じだから食べたにもかかわらず、実際は食用と非食用で全くタイプが異なるものであったためクリスは命を落とすことになる。
ショーン・ペン監督が終始文字にこだわっている理由はこのように‘名前の正しさ’を追求したかったからだと思う。その問題を解くことが幸福につながると考えたのだと思う。結局クリスが見つけた答えは名前が正しいか間違っているかということではなく、名前を誰かと分かち合うことが大切なことだというものだった。ちなみにジャック・ロンドンの代表作である『野生の呼び声(The Call of the Wild)』は『My Dogs in the Northland』からの剽窃だとしてその本の著者であるエゲルトン・ヤングに告発され、ロンドンはそれを事実と認めている。この作品に関連した興味深いエピソードである。
デス・レース
2008年/アメリカ
現代のヒーロー像
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品でまず私が気になったことは主人公の元レーサーであるジェンセン・エイムズがマスクをすることである。まるでヒーローは「バットマン」や「スパイダーマン」のようにとりあえず顔を隠さなければならないという決まりがあるかのような設定が興味深い。
ジェンセンは失業したばかりではあったが、愛する妻と娘がいて幸せであった。しかし一流のレーサーであったばかりに罠にはめられて無理やり‘ヒーロー’に仕立てあげられてしまう。幸せな彼の家庭を壊しておきながら、ヒーローは強くなければならないが、強すぎても面白くないという加減で女性の刑務所長やナビゲーターは問答無用で男としてジェンセンを鼓舞する。絶対ヒーローから見世物のヒーローへと意味合いが変化した現代のヒーロー像が描かれていると思う。
クレジットタイトルが流れる最後の方で死んだはずの刑務所長の声が聞こえるのだが、続編があるということなのだろうか?
携帯の小中校持ち込み禁止 河村・鳩山氏が賛意(産経新聞) - goo ニュース
鳩山邦夫のバカ発言を改めて確認しておくと、「言うべきでないこともメールだと
書ける。会話能力がおかしくなる。携帯電話は便利だが、人間性を失わせる側面を
強く持っていることは疑いようのない事実だ。」ところでメールを使っているわけでも
ないのに言うべきではないことを言っている人が今の閣僚内に少なくとも2,3人
いるはずだがそのことに鳩山は気がついていないのだろうか 鳩山邦夫、お前の
ことだ 「携帯電話は人間性を失わせる側面を強く持っている」らしいが、携帯
電話がなくても人間性を失っている人間がいる。鳩山邦夫、お前のことだ