グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)は1862年生まれで19世紀末の「ウィーン分離派(Wiener Secession)」を代表する画家として有名で、「甘美」「妖艶」「エロス」など「ファム・ファタル(宿命の女)」のイメージで語られがちなのだが、先日まで上野の東京都美術館で催されていた『クリムト展 ウィーンと日本1900』で時系列でクリムトの作品を観ていくと様々な面を見ることができた。
(『イザベラ・デステ(Isabella d'Este)』)(1884年)
例えば、クリムトがティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の作品を模写をした『イザベラ・デステ』を見るならば、クリムトが古典的手法を身につけていることが分かる。
(『17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像
(Portrait of Emilie Flöge at the Age of Seventeen)』)(1891年)
身体や背景をラフに、顔を丁寧に描写する描き方はピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)と共通するものである。
(『ヘレーネ・クリムトの肖像(Helene Klimt)』)(1898年)
ヘレーネ・クリムトはエミーリエ・フレーゲの姉なのだが、ヘレーネはグスタフ・クリムトの弟のエルンスト・クリムト(Ernst Klimt)と1891年に結婚している。
(『エミーリエ・フレーゲの肖像(Portrait of Emilie Flöge)』)(1902年)
この時、エミーリエは28歳。
(『白い服の女(Lady in White)』)(1917年ー18年)
ピエール・ボナール(Pierre Bonnard)のようなナビ派のような作風である。
(『鬼火(Will-o'-the-wisps)』)(1903年)
マルク・シャガール(Marc Chagall)のような作風もある。
(『丘の見える庭の風景(Landscape with Hilltop)』)(1916年頃)
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)のようなポスト印象派のような作品もあるのだが、これはクリムト自身も日本の浮世絵に影響を受けたからである。
このようにクリムトはバラエティーに富んだ作品を生み出しており、一筋縄では語れない画家なのである。