(2023年3月14日付毎日新聞朝刊)
『文学界』の5月号と『群像』の5月号に文芸評論家の蓮實重彦が亡くなった大江健三郎に追悼文を寄せている。『文学界』に掲載されている追悼文に拠るならば、1935年1月生まれの大江と1936年4月生まれの蓮實とは同じ時期に東京大学に在籍していたことがあるのだが、蓮實が大江を目撃したのは一度だけで、その時も蓮實は大江に声をかけることなくただ遠くから見つめていただけだったらしく、その後も仕事で一緒になる機会はあっても言葉を交わすことはなかったらしい。もちろん対談することもなかったのであろう。
しかしそれもうべなるかなと思う理由は、大江の義兄にあたる伊丹十三の映画監督デビュー作である『お葬式』(1984年)に対する蓮實の評価にあると思うからで、蓮實は以下のように語っている。
「私は面と向かっていいましたよ。『お葬式』の初号試写の時に、彼(伊丹)が『いかがですか』と聞くから、はっきり『だめです』と。」(『「知」的放蕩論序説』 河出書房新社 2002.10.30 p.142)
伊丹は蓮實にこそ褒められたいと思っていたからわざわざ本人に訊ねたはずなのだが、蓮實は全く認めなかった。実際に『お葬式』を見てみるとかなり酷い作品で、これで蓮實が褒めてくれると思った伊丹の感性を疑わざるを得ないのだが、驚くべきことに『お葬式』は1985年の第8回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞の主要3部門を獲っているのである。
この件に関して大江は蓮實を快く思ってはいなかったであろうが、さらに追い打ちをかけたのが1997年の伊丹の自死(?)で、これで完全に大江との関係は断たれ、大江の息子がいまだに元気そうなので、例えば、筒井康隆との「和解(妥協?)」による関係の修復は叶わなかったものの、代わりに大江は2000年に『取り替え子(チェンジリング)』を物にしたのである。
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