木綿橋跡(新町裏)付近から本通の紀伊國屋を望む。現在の道路(通称:きたはま通り)は入江を埋め立てて出来た。昔は入江の北岸を北浜といい笠岡町も含まれていた。老朽化したアーケードの屋根が撤去されて交差点の角地に位置する紀伊國屋とはぶ文泉堂は細部の傷みがよく見えるようになった。
はぶの方が先に入口を改修して小奇麗にしたが、紀伊國屋も同様の工事に着手した。結納店の主は18代目にあたり本通筋では老舗中の老舗である。初代は水野氏が福山に城を築くための石材・材木を手配し納めた人物で、後にその功績を認められ藩主から紀伊國屋という屋号を授かった経緯がある。
本通の道路工事は現在も続く。石材を中央から埋め込んで最終的には光沢のある石畳風に仕上げるようだ。市制施行100周年を目前にして商店街の装いが急ピッチで変貌している。
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