岩まくら深海の岩根とどまるも身は慣れぬまま水の冷たさ
手枕の野辺の草葉の霜枯れに身はならはしの風のさむけさ 兼好
汝や知る浜の野辺吹く夕風の止まるをみても落ちる涙を
汝や知る都は野辺の夕ひばりあがるを見ても落ちる涙は 応仁記
人住まぬ破風の崩れ家板ひさし荒れにし今は潮騒の打つ
人住まぬ不破の関屋の板廂荒れにしのちはただ秋の風 藤原良径
岩まくら深海の岩根とどまるも身は慣れぬまま水の冷たさ
手枕の野辺の草葉の霜枯れに身はならはしの風のさむけさ 兼好
汝や知る浜の野辺吹く夕風の止まるをみても落ちる涙を
汝や知る都は野辺の夕ひばりあがるを見ても落ちる涙は 応仁記
人住まぬ破風の崩れ家板ひさし荒れにし今は潮騒の打つ
人住まぬ不破の関屋の板廂荒れにしのちはただ秋の風 藤原良径
とりあえず片付けられる範囲は終了したので、「エンジンが動かない」と点検を依頼されていた刈り払い機の整備をすることにした。
古い機器だからエアーフイルターを開けて見るとオイルでしっとりとしているが詰まってはいない。燃料を入れてスタートを試みたが点火もしない様子だ。「ハハン!」と思って排気口をみたらしっかりと塞がれている。これではシリンダーに生ガスすら入っていかない。
不使用期間が長いと、マフラーを育児室として使う蜂の仲間がいるのだ。自宅のカーポートにぶら下げてある刈り払い機では、ほぼ毎年シ-ズン前には塞がれていた。これが判るまでには不具合の理解に時間を要したものだ。今では使用後は小枝を差し込んでおく。
塞いでいた泥を取り除いたら始動できた。杖が無くてもソロリソロリと前進できるから、自分の試運転で上り下りする斜面を刈り払った。窪みや出っ張りに左足がいくと「ヒヤッ!」とする時もあったが、とりあえずは「上出来」と言うより「ようやくここまで!」と言う、自己満足感の試運転だった。
少年時代の記憶では、アブは夏の生物だとばかり思っていた。でも現在では、アブの盛期は「何月」と言う記憶は無いから、正確さは損なわれるのだろうが、少なくとも「秋」の生物と言う認識は全く無かった。
ところが、フイールドに通うようになってアブが多く出現する時期は涼しくなってからと気付く。フイールドの駐車場に車を止める前からアブが車にまとわり付いてくる。多くはボンネットやタイヤに集中する。
何のことは無い「温かさ」を求めて寄って来るのだ。本当は人間様の皮膚に取り付きたいのだろうが、アブの赤外線センサーは車両のほうを強く感じる。だから「騙された」ともいえるが、真実は不明だ。そして稀に小生の周囲を離れず着陸する個体もいる。これは容赦なく「平手打ち」である。強さは「潰れない程度」にする。
そして、郷里でしていたように、翅を千切って放してやるのだ。動物愛護の立場では「残酷」と言うのだろうが、郷里でアブが襲う多くは農耕牛で、吸血されないように退治するだけのことであった。その頃の習慣が未だに残っている。げに習慣とは恐ろしい。
帰宅したら目の前から蝶が飛び立った。直感的に「アサギマダラ」と理解した。この時期に大型の蝶は姿を消したし、吸蜜していた花がフジバカマだったからだ。フジバカマもヒヨドリバナもアサギマダラが好むと言うので一株だけだが植え込んでおいたのだ。住宅地だから訪れてくれるとは毛頭思わなかったが、目の前にいる。
写真を撮ろうと待っていたけどなかなか舞い降りてこない。フイールドでも飛び方のたおやかさの割には警戒心が強い蝶のようである。花の傍で微動だにしないで顔を蚊に吸われても、ジーッと蜜を吸いに来るのを待ち、ようやく撮影できた。春の頃、一瞬だけ見かけたことがあったが、それ以来で、実質今期の初見と言ってよいだろう。
フイールドでなく玄関先で初見とは信じがたいが、紛れもなくアサギマダラだ。嬉しさの余り、紛れも泣く?!。
映画「風と共に去りぬ」のテーマ曲は「タラのテーマ」だったか「ララのテーマ」だったか?なかなか好きな曲だったが、それはともかく、ここは「タラノキ」がテーマだ。
食草園の一角に植えたタラノキが花をつけた。頭頂花のように先端に開花するから近くでは見る事の出来ない花である。この春、新芽を数本切り盗られ、仕方がないから「繁殖母樹」の札と、一帯は「環境学習区」として整備中で、採集は控えて欲しい旨の立て看板を立てたのだ。
功を奏したのか、初めての開花を見た。隣地の棚田跡に登って花の様子を眺めると、小さな昆虫が群れている。蝶はアオスジアゲハのみだったが、飛び立つことも無く花の中に埋もれたままだった。しばらく待っていたのだが移動する気配も無く、撮影できなかった。
タラノキは山菜として見ているのではなく、花粉や蜜の提供樹として備えて来たのだが、来訪者は「山菜」としか見ていない。至近にも「繁殖養母樹」の札をつけた1本があるが、この近辺で、タラの花を見れるのはこの2本だけだ。数年前から開花結実している1本があったお陰で、この樹も移植できたし、周囲にも幼樹の芽生えが見られるようになった。
ただ、殆どが3~4年生の頃までに新芽を削がれて枯れ死する。自然状態で開花まで生存できるのは、ほとんど不可能な時代になってしまった。
今日は穏やかな晴天になった。先日の台風で倒れた竹の処理をやって、ようやく九分通りまで進んだ。ところがである。患足の踵付近がピリピリしてきた。万歩計を見ると、まだ二千歩に到達していない。急斜面ではない、なだらかな傾斜地の作業でもアキレス腱には負担だったようだ。
急いで処理をする理由も無いから切り上げてしまったのだが、それでもボサボサの草薮の上に散乱した枯れ竹をあらかた片付けたので見た目はすっきりとなった。草薮を形成している植物の大半はヤブマオで、長さ2m以上にも伸びた茎が株立ちとなり、その下は裸地のままである。
これを造林鎌で生え際から刈り取って、上に載っている竹を処理していくのであるが、斜面の下から攻めなければならないから、竹の枝先が危ないことこの上ない。顔面を保護する防護面を装着しないとやってられない。
えにしえも今も変わらぬ世の中に悔やみて席を放す言の葉
古も今も変はらぬ世の中に心の種を残す言の葉 衆妙集
祭られておぼえず御輿乗る野田の左刃こぼれ右おざわ蟲
さそはれておぼえず月に入る野辺の左は小萩右は松虫 挙白集
瓦礫山尾上たちて見渡せば永田国原国費盗るなり
香具山の尾上にたちてみわたせば大和国原早苗とるなり 上田秋成
人工授粉させて位置を忘れていたヤマユリを、会友のM氏が記憶していて「トレイル横だから」と示してくれた。緑の園芸支柱が立っていたから記憶がよみかえったけれど、ヤマユリの茎が見えない。「盗掘された!」と思ったのは一瞬で、種子の重さで倒れる寸前だったのだ。
3株に一個づつ種子を詰めた鞘があった。まだ採集して播種するには早いから、確認だけで済ましたが、この分だとトレイルより上部の急斜面の藪の中も、採種できる株が残っている可能性が大きくなった。
現状では、背丈を越えるヤブマオやアザミが密生してしまったから、造林鎌で刈り払いながら通路をつけないと確認は不可能である。でも、小生は急斜面を上り下りできる能力は無いから直下まで到達する、が次の目標か。あとは人任せだ。
草刈りは一旦休止して、祭りへ出品する細工物を作っている所に、いつものメンバーが押し寄せた。今日は、この一帯で遊びたかったのだろうが、小父さん達がかまどで化粧炭や電動工具で材料取りをしている場所では伸び伸びと遊べなかったに違いない。
小屋から木材を出した時にカマドウマがくっついて来た。夏の頃は戸を開けただけで物陰に隠れてしまうすばしっこさだけれど、気温が低いせいか動こうとしない。お陰でゆっくりと撮影できたが、一行が拠点まで来る様子だったから虫篭に入れておいた。
子供達はと言うと、どうだったのだろうか。担当に渡しただけで首尾は見ていないが、ママ達の騒ぐ声だけが聞こえてくる。「便所にいる」とか「トイレコオロギ」とか「キモイー」とか、そんな声ばかりで盛り上がっていたような…。
考えるまでもなく、このマダラカマドウマは先祖代々トイレには住まなかった一族だと思うのだが、先入観とは恐ろしい。やっぱり人気はなくてお持ち帰りにはならなかった。それはともかく、斑のカマドウマは初見である。
カマドウマ風評被害で受け手なし
放射能あまねく広くまた強く暮らしに祟る自除努力のみ
県外に避難した身は生業も暮らしも全て自助努力なり
責任の始末は軽く儲けなら二乗努力は惜しむ事なし
国難と言って酒盛る泥茶碗自浄不可能我田引水
先日の台風十五号で風倒木が出たが、拠点近くの竹林も倒れた竹が目立っている。特にこの一角は竹の除伐をした所で、境界にある竹の枯れ死が目立ってきた場所だ。それが一角だけだが縦横無尽に倒れて折り重なってしまった。
足の動きが悪いから、直接現場処理に入れなくて、緩斜面から実生樹の刈り出しをしながらの接近とする。でも結局、現場まではたどり着けなかった。作業歩数も五千歩になって、踵付近のアキレス腱がピリピリとしてきたため終了とする。
この左手斜面の竹林境界付近に、人工授粉したヤマユリの株が数株あるはずなのだが発見できなかった。ここは人の目には触れ難い場所だから、盗掘はされてないと思うけれど、断定も出来ない。前方の倒竹を処理し、足場を固めながら確認せねばなるまい。種子が散乱する前に確保したいのだが。
返されて銀葉を見せる萩の枝花びら散らす大風の昼
台風にあおられ揺らぐ百合の葉の裏に抱きつく空蝉ひとつ
坪庭にクツワムシらが鳴きたもうこれも怪我ゆえ草取れぬゆえ
名月は去りてあかつき臨む空ただ一時はすみれに染まる
夜半の激しい風雨の後、日中は快晴の予報を信じてフイールドに向った。だが駐車場手前のS字カーブで停車せざるを得なかった。アラカシが根返しをおこして林道に倒れこんでいたのだ。
手前の駐車場に止めるか、倒木処理するか迷ったのだけれど、荷物を運ぶには体が頼りない。結局、枝打ち用の鋸は車に備えてあったから、それで腕の太さ程度の枝まで切り刻んで車が通れるようにした。道路わきに逆さまになっている主幹は、処理中に入ってきた会友のA氏が、拠点小屋までチェーンソーを取りにいって処理してくれた。
思わぬ作業で準備体操どころではなかったが、一汗かいてしまったのだ。惜しいことに、この樹はシーズンにはカブトムシが寄り付く樹だった。アラカシなのだが「どうしてアラカシに?」と思いながらシーズンには徐行しながら幹にカブトムシを見出すのを楽しみにしていたのである。
根こそぎ倒れたから再生は不可能。楽しみが減ってしまった…。新聞記事に、周辺のハイキングコースが台風十五号の倒木で、通行禁止になった部分が多々発生したとあった。現状では踏破力がないから処理には行けないが、この処理でさえ足元不如意でオタオタだった。情けない話である。